ひとを好きになるということ
2016/03/26 23:33
淡海はあらかた麺を食べ終わると、どんぶりに箸を置いて言った。
「とてもシンプルな理由だよ。人は、誰か守るべき人がいると、強くなれる」
「あ……!」
海里はハッとした。淡海は、そんな海里の表情から察したのだろう、温かく微笑んだ。 (椹野道流「最後の晩ごはん 小説家と冷やし中華」角川文庫,2015,125頁より)
恋なんてしないだろうなー、好きなひととかできずに暮らしていくんだろうなー、なんて、漠然と思っていました。
誰かを好きになるのが怖いとか、めんどうくさいとか、そういうことではなくて。
ただ、恋とかそういうものよりもずっと、自分のやりたいことや興味のあることがたくさんあって、それを突き詰めたい、というのが先にたっていて。
そうしているうちに、月日は流れていって……
恋することなんて、知らずに生きていました。数年前までは。
生きるのがつらくなるほどの重い失恋を経て、今また、私には好きなひとがいます。
ひとを好きになるというのは、体力も精神力もけっこう、必要だったりします。苦しくてどうしようもなくなるときもある。
けれども、それ以上に、毎日が色鮮やかになります。
たとえ、まっくらやみのなかに投げ出されるような、取り残されるような、全てのものから色が失われるような、そんな現実のなかに生きていたとしても。
好きなひとのことを思うと、そんな現実に、明かりがともったり、する。無彩色の光景の、そんななかにも、色が差すように感じられるんです。
その場所から、世界に色が広がっていく。ゆたかな色の波が、限りなく、広がっていく。
守られるほど、支えられるほど、私もそのひとのことを守りたいと思う。支えたいと思う。
普段はつい強がってしまっても、そのひとの前では、自然な姿でいられる。弱くなれる。
同時に、そのひとを守りたいと願うから、支えたいと願うから、どこまででも、強くなれる。
「人は、誰か守るべき人がいると、強くなれる」んです。
それが自分の好きなひとなら、きっと、なおさら。
たとえこの恋がどのようなところに行き着いたとしても。
ひとを好きになったことで、弱くなり、なにより、強くなれた、そのことは。
大事な思い出となり、生きていくうえでの大きな糧になる。
と、私は思います。
ひとを好きになるということは、ほんとうの強さを身につけること。
それに、他ならないのかもしれません。
prev | next
コメント
前はありません | 次はありません