- ナノ -



「弱く」、「強く」
2016/02/01 23:34

上司からもらったミルクティーをとてもあたたかく感じた、そんないちにちでした。
きっと缶自体があたたかかっただけじゃないんです。
ひとの心が、あたたかかった。ありがたかった。

仕事をしているといろんなことがあります。
先週はあわや、というところまで、精神的、体力的にも追い詰められていたのですが……
(それでブログの更新、サボっちゃいました。すみません!)、
家族やツイッターの仲間や、いろいろなひとに話を聞いてもらったりして、
今は再び、持ち直しています。
苦しいときに誰かの力を借りることができるようになったこと。
それは、大きな進歩だという気がしています。
これまで私は、なにもかもを自分で抱えてしまうほうでした。
これでなかなか、「みえっぱり」な性質を持ち合わせていたりする私です。
自分の弱さとか、弱点とか、カッコわるいところとかをひとに見せるのが、
ものすごく苦手で、ヘタクソだったんですね。
(……文章にしてお見せする分にはすなおでいられるのに、不器用ですね……。)
どうしてもそんなふうにすることに、苦しさを感じてしまって。
こーんなカッコわるいところを見せて、あきれられやしないか? きらわれやしないか?
ということが、どうにも心配で、心配で、しかたなかったんです。
けれど、社会人になって精神的にぎりぎりまで追い詰められることもあり、
自分ひとりでもがいておぼれかかっていたときに、声をかけてくれたひとがいたんです。
心からありがたく思うと同時に、私は愕然としました。
「ああ、私は今まで、たくさんのあたたかなひとたちに支えられていながらも、
そのひとたちのことを、完全には信じることができていなかったのだな」と。
もしも、心から信じることができていたなら。
「自分の弱さを見せたら、きらわれてしまう」
なんて、思わなかったはずです。
「きっとあのひとなら、弱い自分であっても、カッコわるくて、ダサくて、不器用な自分であっても、受けとめてくれる」
なんて、思えたはずです。
ひとを信じることのできない寂しい自分がいたんですね。
まったくもう、「走れメロス」のディオニス王もまっさお、です。
けれど、それに気がつけたことによって、こう思うことができました。

友だち、仲間、先輩、上司、家族……
私の周りにいてくれる、たくさんの大切なひとたちを、信じよう。
信じて、もっと、「弱く」在ろう。
ヘンに強がったり自分をよく見せたりせずに、
ありのままに、「弱い自分」で在ろう、と。

そうして。
それから少しずつ、ほんとうにすこーしずつですが、
私は誰かを信じて、自分の抱えていることを聞いてもらったり、
自分から、ひとの力を借りたり、助けを求めたりすることができるようになりました。
……いや、まだまだ「上手にひとを頼り隊」「びぎなーず」の域を出ず、
「できるようになりつつあります」と言ったほうがいいのかもしれませんが……。
ともあれ、今では、心から「信頼している」ということのできるひとたちが、たくさんいます。
傷ついても、苦しんでも、消え去りたいと思っても、
そんな弱いところも含めて、支えてくれるひとたちが。
それは、どれだけありがたいことでしょう。しあわせなことでしょう。

「弱いところを見せたら、きらわれる」?
そんなことなどなく、その弱さをも受けとめてくれるあたたかなひとたちは、私の周りにたくさんいたんです。
私自身がきちんと、心を開くことができていなかっただけだったんです。

そんなひとたちがいてくれるからこそ、私は「強く」在れます。
誰にも弱さを見せずにただひたすらまっすぐ強いことが、「強い」とは限りません。
きっと、「弱く」在ることができると、ひとはその分、「強く」も在れる。
そんな気がしています。

迷ったとき、つらいとき、苦しいとき。
きっとあなたの周りにも、あなたの「弱さ」を受けとめて、あなたを支えてくれるひとがいます。
そうしてあなたを「強く」してくれるひとがいます。
それを忘れないでください。
私も、忘れないように生きていきます。


おや、もうこんな時間。
それでは今日は、このあたりで。


管理人 ひらい しん















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