- ナノ -



時を越えて
2015/10/18 17:47

こんばんは。
朝晩はすっかり冷え込むようになりましたね。
みなさん、体調など崩されていないでしょうか。
夜は暖かくしてお眠りになってくださいね。

さて、エッセイを書くということは、
誰かにそのときの自分の思いを表現すること、
未来の自分に向けて今の自分の考えや記憶を伝えること……などなど、
いろいろな意味があるなあ、とは、以前から思っていたところです。
最近、もうひとつ大きな意味があることに、なんとなく気がついてきました。

それは、「同じところに立って共感する」ということです。

いつまでも子供だと思っていたら、私もいつの間にか大人になっていました。
それはそれでよいものです。
大人になってできることも多くなりましたし、
知っていることも、子供のころよりはたくさんありますから。
けれども、けっしてもう取り戻せないものもあります。
それは過去と言い換えてもいいかもしれません、そのときそのときの自分自身です。
未来の私が現在の私にはけっして成り代われないように、
現在の私は過去の自分にはけっして戻れないものです。

自分よりも歳若いかたが何かで悩んでいたとしましょう。
私は大人として、あるいは先輩として、
そのかたのことばに耳を傾けたり、場合によっては、
アドバイスできたりすることもあるでしょう。
けれどもそれはあくまで、「大人」「先輩」という立ち位置から、
ということになります。
これはある意味、私よりも若いかたにとっては、
「上からの」姿勢だったり、アドバイスだったりするものです。
ほんとうに同じ目線で見て、同じところに立ってそうすることは、できない。
それは年齢と年月を遡ることができない以上、もうどうしようもないことなのです。

けれども、自分のそのときそのときの思いを、
ある程度客観視して文章にまとめたエッセイを書き残していたならば。

現在の自分が、現在できないことを、
昔の自分が、昔自分の書いた文章を通して、代わりに成し遂げてくれる可能性があるのです。
そのひとの立ち位置とおんなじところに立って、
そのひとといっしょに、過去の自分が悩んだり、考えたりしてくれるかもしれない。
現在の私が、もうすっかり忘れてしまった感じかた、考えかたで、
そのひとに寄り添って、共感してくれるかもしれない。
これは、よく考えてみるとすごいことです。
現在の私は、過去の私になれないけれど……
まるで、過去の自分がタイムトラベルして、助っ人に来てくれるようなもの。
とても、心強いことです。

もちろん、過去に自分が書いた文章。
今見てみると、とんでもなく拙文だと思うときもあります。
しかし、その当時自分が考えていたことを、
そのときの自分に出せる精いっぱいの力で書き上げたものは、
その点において、最も価値があると、私は思っています。
そのときにしか書き得なかったものを、
そのときにしか表現できなかった表現で書いているからこそ、
ヘンに飾ったり、整ったりしていずに、
「同じところに立って共感する」ことのできる可能性を、残していると信じています。

今も悩みます。
夜、眠れなくなることもありますし、考えごともたくさんする。
反対に、感動することもたくさんです。
そんな、現在の私を取り巻くいろいろなものを、書き綴っていれば……
あるいは、その書き物が、未来の私に助け舟を出してくれるかもしれません。
そして、微力……ほんとうに、わずかなちからかもしれませんが、
もしかしたら、誰かのお役に立てるかもしれません。
そうなったらいいな、と思うのです。

それでは、今日はこのあたりで。
また近いうちに。


管理人 ひらい しん







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