- ナノ -



かわるぶんたい
2015/09/27 11:33

おはようございます。
数日ぶりに、すっきりと晴れた朝を迎えております。
秋の朝は、少しひんやりした空気も相まって、夏とはまたちがったすがすがしさです。
ほんとうに、いつの間にか秋になっていましたね……

先日、復刻シリーズが完結となりました。
高校時代に文芸誌に載せた作品はこれで全部です。
当時はまだ、フロッピーディスクにデータを入れて、紙に印刷していた時代でした。
もしそのときのフロッピーが残っており、
現在使っているパソコンにフロッピーを入れられる穴があれば、
もう少しはやくサイトの更新をしていけたのでしょうが、
なかなか現実にはそうもいかず。
手元に残っていた紙媒体の文芸誌を見ながら、
かたかたと地道に文章をパソコンへ打ち直していっておりました。
そうするとあらふしぎ、当時の自分といまの自分とで、
だいぶん文体が変わっているなあ、ということに気づくのですね。
特に、読点の打ち方と、ひらがな表記・漢字表記の仕方に変化が大きかったです。
高校時代の文章の、読点の少ないこと。
気をつけてパソコンに文字入力していかないと、
当時の文章には読点が入っていないところに無意識のうちに読点を打ってしまうほどでした。
それからひらがな表記・漢字表記ですが、
たとえば、現在は意識的にひらがなを使っていることば、というのがわりとあります。
「ひと」「こと」「もの」などですね。
高校時代ではどちらかというと、それらの簡単なことばは極力漢字で表記するようにしていたふしがあります。
まあ、いまほど表記にこだわりがなかったこともあり、
パソコンの変換に任せて書いていった面も大きく、表記のゆれも多いのですけれどもね……。
細かいことですが、見直してみるとけっこう気になるものです。
気になるくらいには、文体も語り口も当時とは変わったのでしょうね。
数年を経ると自分の書く文章にも変化がでるというのは、なかなかおもしろい発見でした。
成長だと思いたい。

ただ、自分の文体について、変わっていないこともあって。
それは、「だである調」のかための文章のほうが、今も昔も書きやすいということなんですね。
もっと言えば、「だである調」かつ、漢字熟語多めかつ、かたい言い回し多めかつ、改行少なめの文章がもっとも自分の思っていることを表現しやすいんです。
ただ、それをすると伝わりにくい、読みにくい、内容にそぐわないという場合もあって、
ていねい語の文章でやわらかめに書く方法を練習していった経緯があります。
書くからには、その読み手が自分であろうと他のひとであろうと、
伝えたいことを極力伝えられるように表現していくのはやっぱり大切だと思うんです。
『大切な、あなたたちへ』でガツンとていねい語の文章を書いたことにより、
その後少しずつていねい語の文章にも慣れていくことができました。
いまでは、時と場合と内容に応じてある程度は使い分けられます。
実際の運用はていねい語の文章のほうが多いくらいです。
でも、そうすると無性にさみしくなることもあるんですよね……
カタッカタの「だである文」を書きたくなる衝動にかられることもあったりして。
そう思うくらいに、根本的には「だである人間」なんです。
これはおそらく、よっぽどのことがなければ今後も変わらないような気がします。

ちなみに、「だである」と「ていねい」の中間くらいでざっくばらんに書く、
という妙な芸当も身に着けつつあります。
もっと言えば、「だである」でもやわらかめにしたり、
「ていねい」でもかためにしたりするなど、
頭のなかで文章のパレットがいろいろ広がるようになってきました。
絵でいうと、そうですね……
この絵には水彩が合いそう、ポスターカラーが合いそう、アニメ調が合いそう、
などと塗りを使い分けていくのと似ているかもしれません。
これは表現していくなかでいろいろと便利なので、これからも磨いていけるといいな、と思います。
ほとんど感覚的なものなののため、文章をいろいろ書いてひとに見てもらうのが、
いちばんの練習になる気がします。
そのためにもサイト更新、がんばります。

それでは、長くなりましたが、このあたりで。
また近いうちに。


管理人 ひらい しん






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