★09.愛の言葉より、約束を頂戴

 あれから俺とナマエは、お互い必要以上に関わりを持たなくなった。授業が一緒でも声を掛けない、目も合わせない。5年生の時に動き出した時間が、まるでそのままなくなったみたいに。それならいっそ、彼女と出会うより前に戻してほしいと思ったことが何度もある。だけど本当に時間が戻るなんてあり得なくて、気づけば卒業を迎えていた。最初で最後のデートから、また1年ちょっとしかたっていないなんてあまり信じられない。俺は卒業したらグリンゴッツのエジプト支店に行くことが決まっていて、もう彼女と出会う希望すら見いだせなかった。



 卒業を迎えて、会おうと思えば会えるはずのチャーリーが思った以上に泣いていて思わず笑ってしまった。クィディッチがんばれよ、とひとこと添えればトレードマークの笑顔を返される。他にも、後輩やお世話になった先生たちにあいさつをして周っていたらなんだか物悲しさがおそってきた。この学び舎から離れていくなんて、なんだか不思議な気持ちがこみ上げる。

「あの、ビル!」
「?」

 声をかけてきたのは、同じ学年のハッフルパフの女の子。占い学の授業で何度かペアを組んだことがあって、ハキハキとしゃべる元気な子の印象だった。顔を赤くして、勇気を振り絞るその様に、さすがに何を言われるかは想像がつく。

「私、ずっとあなたのことが好きだったの!」
「……ありがとう、すごく嬉しいよ。でも、ごめん」

 こういう時、いつもナマエのことを思い出す。俺の大好きなあの笑顔と、俺がさせてしまった泣き顔が離れない。あの日からずっと、彼女のことが忘れられなかった。何より、忘れたくない。記憶の中の出来事なんかで終わらせられない。

「俺、好きな人がいるんだ」

 ハッフルパフの女の子にそう告げて、俺はばかみたいにホグワーツの中を走りだした。なりふり構わずにナマエの所在を聞いてみるけれど、誰も彼女の居場所なんて知らないという。そういえば、彼女の気持ちを知った日もこうやってばかの一つ覚えでここを走り回ったっけ。

「もしかして、」

 そんなことあるわけない。そう思っていても走りださずにいられなかった。不機嫌な彼女を見つけた、あの湖のほとり。俺たちの短い関係が始まったのは、あの場所だ。ナマエがそこにいたら、なんて言おう。何も思い浮かばないけれど、きっと彼女を見れば、自然と言葉になるだろう。なにせあの時もそうだったんだから。全力で走りすぎて脇腹が痛み出したころに、ようやく湖が見える場所にたどり着く。

 そして、愛おしい彼女の姿が見えた。

 後ろ姿だけど、見間違えるはずもない。背筋を伸ばして、凛として、それなのにどこか寂しさが垣間見える。ホグズミードで俺が追うことのできなかった後ろ姿。

「ナマエ!」

 大声でその名を呼べば、振り向いた彼女は驚いて目を見開いていた。逃げられるかと思っていたけれど、ナマエはそこに立ったまま。なぜか詰められない距離が、俺と彼女の間にある見えない壁。

「ひ、久しぶり」
「お久しぶり。卒業の日だっていうのに、グリフィンドールの監督生はずいぶんやんちゃみたいね」

 汗をかいている俺を見て、ナマエはにっこりと笑う。ああ、やっぱり。この笑顔を見ると、見ないふりをしていた気持ちが浮上する。俺は何年たってもこの子が好きらしい。

「聞いたわ。グリンゴッツに就職するんでしょう? おめでとう」
「ありがとう。……ナマエは?」
「私? 私はね、結婚するの」
「え!?」

 まるで「それがなんだ」とでも言うかのように、彼女は次に怪しく笑う。てっきり普通に就職するものだと思っていたから、頭にブラッジャーをくらったような気分だ。本当にそうなったことはないけど、おそらく比喩としてはこれが最適だろう。そのくらいの衝撃を受けた。結婚? 誰が、ナマエが? そして思い出すのは、彼女の家柄。まったく、本当に俺の思考を混乱させるのが得意だと感心する。

「じゃあ、もう会うこともないだろうけど、」
「待って!」

 気づけば、見えない壁を簡単に超えていた。俺に背を向けてこの場を去ろうとしたナマエの腕を掴む。

「俺は、今でも君が好きだ」
「……やめて。私は家のために結婚するの。もうあなたとは、関係ない!」

 俺の手を振り払って、ナマエは声を荒らげる。まるで自分の気持ちを怒りで上書きして、気づかないふりをするように。君の言うとおり、俺と君は似たもの同士だ。感情を抑えようと両手のこぶしを握りしめる彼女を抱き寄せ、離れていかないように閉じ込める。腕の中で暴れられるのは、以前と全く同じだった。

「俺はもうグリフィンドールじゃないし、君ももうスリザリンじゃない」
「それがなんの、」
「もしまだ、俺を好きでいてくれるなら、」


 ――俺のために家を捨ててくれる?


 ああ、なんて甚だしい要求だ。簡単に飲んでもらえるものではないと分かっている。それなのに、断られない自信と確信が俺の中に確かにあった。ナマエは、もう抵抗することをやめていた。

「ふざけ、ないで。私があなたをまだ好きなんて、」
「ナマエ。お願いだから、嘘はつかないで」

 俺に嘘をつくのは構わない。だけど、自分の気持ちを偽ることだけはしてほしくなかった。自分が本当に望んだ結婚であれば、俺は手放しで祝福してただろう。だけど彼女はさっき、はっきりと「家のために」と言ったんだ。

「……なによ、嘘をついたのも、最後に諦めたのもビルじゃない!」
「うん、意気地なしでごめん」
「本当よ、なんで今更……」

 沈黙は、肯定だった。お互いにお互いの幸せを思って牽制し合っていたなんて嬉しいような皮肉なような。もう誰に反対されたって関係ない。それが親でも、目の前のナマエでも。7年も待ったこの幸せを噛み締めて、彼女の額に口付ける。

「……本当、意気地なしね」
「は?」

 盛大なため息が聞こえてきて、聞き返すと思いきり髪を引っ張られる。痛みに顔をしかめるのと同時に、間近で香る甘い香水の匂いと唇へのやわらかい感触。

「ここにするのがマナーでしょ?」

 ……まったく、俺は一生ナマエに勝てそうにない。目があった瞬間に笑い出して、暖かい空気が俺たちふたりを取り巻いていた。本当に今更だけど、今なら自身を持って勇猛果敢なグリフィンドール生だと胸をはれる。
 遠くでチャーリーが俺を呼ぶ声が聞こえるけれど、気にせずナマエを抱き寄せた。人目も体裁も捨てて、ただこの子を抱きしめられる日を望んでいた。そんなささやかな幸せが嬉しくて、泣きそうになるのをかっこわるいから必死にこらえる。他人に貼られたレッテルをお互いに捨てて、俺たちの学生生活は幕を閉じた。

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