★あなたの隣を想像する オフショルダーのニットにスキニーを合わせて、髪のセットに移ろうとしたタイミングで部屋のドアがノックされた。誰か、なんて考えなくてもフランシスしかいない。返事を返すとすぐに扉は開いたけれど、部屋には入ってこなかった。 「ネクタイさ、どっちがいいと思う?」 「男に会うなら左で女なら右ね」 「じゃあこっちだ」 一瞥して判断すると、フランシスは右に持っていたネクタイを締める。つまり女性と会う用事らしい。ラフだけれどおしゃれに決めているところを見ると、仕事ではなく私用だろう。とはいえ私も今日は男の人と会う用事で、そのために今こうやってめかしこんでいる。血縁ではないのに同じ家に住み、それでいてお互い以外の相手に会うためにおしゃれをするなんていくら私がヒトではないとしても変なことであるのは理解済みだ。 「ちょうどいいタイミングで来たことだし、あなたに決めてもらおうかしら。髪型どうしようか迷ってるのよ」 「なまえちゃんなら、特別なことしなくても大抵の男は落ちると思うけどね」 「あら、ありがとう。嬉しいわ」 選んでいた髪留めをボックスに戻して、シャンパンゴールドの腕時計を左の手首に巻く。クローゼットを閉めてリビングに向かい、コーヒーサーバーに豆をセットしひと息つくことにした。 約束の時間までまだあるし、今朝届いた手紙や書類に目でも通しておこう。適当に書類を読みながら、足を組み替えると家のインターホンが耳に届く。書類をガラステーブルの上に置き、誰かと思いながらも少し重い玄関の戸を開くとそこには切れ長の目とブルネットのショートヘアのきれいな女性が立っていた。私を見るなり眉間にしわを寄せ、美しい顔が台無しになっていることに気づいていないみたい。 「フランシスに用事ですか?」 私の記憶に目の前の女性は存在しないから、必然的にもうひとりの住人への尋ね人になる。 「そうだけど、あなた何?」 「……なまえ・みょうじです」 出会って1分もたっていないのに、この不躾な態度はいかがなものか。そう思いながらもしぶしぶ名前を名乗ると、彼女は私に聞こえるように舌打ちをした。 「名前を聞いてるんじゃないわよ。どうしてフランシスの家に他の女がいるの?」 腕を組んで胸を張り、仁王立ちで怒りを露わにされようやく彼女が勘違いしていることに気がついた。いや、薄々そんな気はしていたけれど。ここまであからさまに嫉妬されるとは。どうしてここにいるのかと言われればここは私の家でもあるからであって、しかしそれを言えば火に油を注ぐ行為であることは分かりきっている。どう返せばこの場を平和にやり過ごせるかと考えていると左の頬に痛みが走り、パンッと乾いた音が響いた。 「なっ……!」 「人の男取っておいてだんまり? 随分余裕じゃない」 思い切り肩を押され、バランスを崩しその場に尻もちをつく。高いヒールを履いている彼女は私を見下し、眉間には先ほどよりもしわが増えていた。 「この泥棒猫!」 「なんて失礼な……!」 ここまで一方的に悪口を言われて、泣いて引っ込むほどかわいらしい性格はしていない。立ち上がって間合いを詰めると、お互い至近距離でのにらみ合い。 「まず言わせてもらうと、私はフランシスと付き合っていません。そうだったとしても暴力に訴えるのはあまりに短絡的じゃない?」 「上から目線で話すのやめてくれる? もういいわ、フランシスと話があるから」 「ちょっとなまえちゃん、怒鳴り声が聞こえてきたけど……」 そして、ようやく当人のご到着。いくら玄関から彼の部屋まで距離があるとはいえ、せめて私が平手打ちを食らう前に来てくれたらよかったのに。自分の女の手綱すら握っておけないのかと文句のひとつやふたつ言おうと思ったのに、それより早く彼女がフランシスに突っかかっていく。 「ちょっとフランシス、いったい」 「なまえちゃん、何で頬が赤くなってるの?」 「え、」 ブルネットの彼女の横を素通りして、フランシスは私の前に立ち赤くなっているらしい頬に手をのばす。すっと細められたその青が、いつもより冷たく見えて言葉を出すのがためらわれた。あんなに頭に血が上っていたのに、今はあの不躾な女性に同情できるくらいに頭が冷えている。 「女の子が暴力を振るうのは感心しないなあ。悪いけど、今日は帰ってくれる?」 表情こそ笑っているけれど、言葉の端々から彼が怒っている様子が伝わってきて私ですら緊張してしまう。数百年単位の付き合いである私すらそう感じたのだから、この女性なんてこんなフランシスを見るのはきっと初めてだろう。今日は帰って、なんて、もう会う気もないくせに。 「なによ、浮気者!」 バタバタと、高いヒールのわりには器用に走って帰っていく。肩に付くか付かないかの長さのブルネットの髪が揺れる様子は、叩かれた当人のくせにきれいだと思ってしまった。 「なまえちゃん、大丈夫?」 「……え、ええ。別に血が出た訳じゃないんだから。というか、良かったの? 彼女、なかなかの美人だったけど」 「ん〜……まあ、なまえちゃんに手を出した子と付き合う気はないよ」 ぼうっと彼女が去っていく様子を眺めていたら、またもフランシスが私の頬に手を伸ばした。しかも、女を口説くときに出す甘ったるい声で私の名前を呼ぶものだから、驚いてしまい返答にぼろが出そうになる。本当はかなり痛かったし、痴情のもつれに巻き込まれて腹立たしいけれど、今の私はそれに勝る感情でいっぱいいっぱいなのだ。 「冷やすの持ってくるから待ってて」 「良いわよ、私、もう行くから」 時計を確認して、急いでいる振りをしてリビングにバッグを取りに行く。その前に自分の部屋で頬の赤みを隠すようにメイクを直した。セットだけしたコーヒーサーバーのことは覚えていたけれど、諦めて放置しよう。きっと匂いに気がついてフランシスがどうにかしてくれる。 本当は、約束の時間まであと1時間も余裕がある。それなのに家を出てきたのは、私の頬が赤い原因が平手打ち以外にあったから。私が平手打ちをくらったというだけで怒ってくれたことも嬉しかったけれど、それ以上にブルネットの彼女の勘違いがうれしかったのだ。公園にある噴水の縁に腰掛けて、水面に映る自分を見る。 「私、フランシスの恋人に見えたのね」 フランシスのお目付け役、それが大半の人が私にいう言葉だ。実際バッシュは私のことをそう捉えているし、彼がなにかやらかすといつも私にお鉢が回ってくるのがその証拠。パーティにパートナーとして参加することは多いけれど、隣に並ぶと様になると言われるだけ。お似合いだなんだと言ってくれるのはギルやアントンだけであって、他人があそこまで勘違いしてくれるなんて思ってもいなかった。そして、それをうれしいと思ってしまう自分を悔しく思うのもまた事実。一緒に入られるならそれでいいと自分を信じこませていたのに、すぐにこうやって漬け込まれる。単純すぎて、いやになる。 今からデートという名目で男の人と会う予定なのに、こんな気持ちで楽しめるのだろうか。失礼を承知で断りの電話を入れようかとも思ったけれど、それでは結局単純な女のままだということに気がついた。 ★戻る HOME>TEXT(etc)>山吹色の風が吹く>あなたの隣を想像する |