放課後は甘い香り 16/41



金曜日、寒い中の練習が終わる。サッカー部の全員が帰った後の部室を片付けるのが私の仕事だ。誰にお願いされたわけでもないが、自分の仕事と思って掃除をしている。二年マネージャーの秋先輩が手伝おうかと言ってくれたが、いつものように断った。

一人でサッカーボールを拭いたり、ほうきで砂を掃いたりするのがとても落ち着く。それが終わったら帰れるのだが、大体は椅子に座って時間を持て余している。

今日は宿題もないし、家に帰ったら何をしようかと考えをめぐらせる。昨日録画したドラマを見てもいいし、久々にテスト勉強をしてもいいし。窓から入ってくる赤とオレンジの光が徐々に薄れて暗くなっていく。

あぁ、今日も一日が終わるんだ。私が動くたびにぎしっ、というような音を立てる椅子に『そんなに太ってませんから』と文句を言おうとしたら、

「そんな所で何をしている」

入り口から聞き覚えのある声を耳にする。驚いて振り向くと鬼道先輩が壁にもたれて、こっちを見ていた。

「そ、掃除をしていまして……」
「こんな遅くまでか?」
「でもまだ部活が終わって二十分くらいしか経っていませんし」

先輩は大きく溜め息を付いて私の目の前まで歩いてくると、ポケットから何かを出した。どうやらそれは腕時計のようだ。

「これ、何時だ」
「……えっと。六時四十二分です」
 
たしか部活が終わったのは五時半頃だった。

「あはは、下校時間過ぎてますね」
「笑い事じゃないぞ。早く帰らないと部活停止になりかねない」
「す、すみません……」

先輩はまた溜め息を一つ付いて私に背を向けた。いかにも怒っている雰囲気。部活中ではあまり見ないオーラだ。

「俺は外で待ってる。早く着替えて帰るぞ」

意外な言葉が私の耳に飛び込んできた。
先輩が待って下さる?
つまり、一緒に帰ると?

「は、はいっ!」

私は立ち上がり、先輩が部室を出た後、すぐに帰る準備を始めた。こんなに先輩と言葉を交わしたのはマネージャーになってからも一度も無かった。それが今まさに叶って、ましてや放課後一緒に帰れるなんて。

今日は私の命日になるのかもしれない。

* * * * *

私の隣には鬼道先輩がいる。
心臓がはち切れそうで仕方がない。

もちろん先輩にこの想いは伝えていない。伝えるべきなのか、否か。迷っているのだ。でも、もしかしたら、このままが一番幸せなのかもしれないと思う自分が『告白』を消し去っていた。

それにしても沈黙の帰り道は非常に辛いものがある。

「あ、あの……」
「何だ?」
「せ、先輩はどこに住んでいるんですか?」

それとなく訊いた質問が住んでる場所だなんて。心の中で呆れてしまった。

「苗字と逆方向だ」

帰ってきた答えはさらに私をマイナスへ追いやっていく。

「そ、そうなんですか!私、一人で帰れます。家ももう少しですから」

迷惑は掛けたくない。そしてこれ以上、気持ちを下げたくはなかった。

「そうか。苗字が言うなら仕方ない」

先輩は立ち止まり、カバンから薄ピンク色の紙袋を渡してきた。開けても良いか訪ねると、先輩は恥ずかしそうに両手をポケットに突っ込んでこくりと頷いた。

中には、はんど、くりぃむ?

「こ、これは……」
「お前が部室を掃除している時に買ってきたんだ」

先輩は私と目を合わせずに俯いたまま続けた。

「……苗字が放課後、部室を掃除していた事を最近知ったんだ。それで、部活中、お前から飲み物をもらった時に手を見てな。俺達のために凄い頑張っていたんだって。香りとか、全然分からなくて……すまない。上手くまとめられてないな」

今までずっと時が止まっていた感覚。照れ笑いを隠しながら先輩が一歩、私から離れた途端、急に自身の時計が猛スピードで回転していく。顔は真っ赤に、耳まで熱い。

「そろそろ帰らないと親が心配するだろう。じゃあ俺は」

止めたかった。気持ちを伝えたかった。

『ありがとう』と……――。


でも気持ちを伝えるのは今度にしよう。
迷う必要はなくなったんだ。
そうだ、見違えるくらい綺麗になった手で先輩の手を包もう。


この想いを目一杯伝えながら。



―――――――

愛しき鬼道先輩からの贈り物。
それは甘い香りのする優しさだった。

2011/01/09


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