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▽ 死の世界の奥底で

※ブルーベリーとエニグマに関する妄想を多分に含んでおります。









まるで人間の体内の中にいるような生温かい気温と、奥底から這い上がって来るようなどす黒く死を思わせる空気。さながら生命の感触と終焉の臭いを同時に漂わせる場所。エニグマが転生するために訪れるとされるこの場所は、今まで訪れたどの場所よりもおぞましく、そしてどの場所よりも神聖であるように感じられた。今ここで、ここに生きている感触と実感だけが、ここにいる証。自分の全ては姉のため、姉を救うために存在している。誰にもその邪魔はさせない、そう誰であろうとも。
だが、そもそもこれは姉を救おうとしてやっていることなのだろうか。姉が元に戻ることは恐らくなく、そして自分もまた救われぬ道を今まさに臨もうとしている。そうか、そうだ。これは救いではないのだ。ただ自分は愛する姉と同じだけの痛みと悲しみを感じたいだけなのだと、その痛みと悲しみを無神経な大人たちに知らしめてやりたいだけなのだと改めて認識する。もう今さらそんなことで後戻りなど、出来はしないと言うのに。

目前に居座るのは、かつては王と言われていたエニグマだった。その見た目は丸い球体の周りに手が浮いているようなこれまでのエニグマとは一線を画する姿だが、しかしこれまで見てきたエニグマよりも遥かに大きな気配を漂わせている。他のエニグマに負けたとは露ほども思えないぐらいの、とてつもなく大きな力を肌で感じ取ることが出来た。
何かを為す力を持つのは己であり、また何かを成そうとする意志が自分にはあるのだとかつてのエニグマの王が告げている。見た目は違っても、要するに今まで戦って来た連中と何も変わらない、目的は融合だ。後はこの手を伸ばすだけ、力は直ぐ傍にある。目的は達成される、筈だった。直後それは、現れた担任の教師の制止により阻まれることとなる。
それと、その教師の後に続いてぞろぞろとやって来たかつてのクラスメートたちによって。来るだろうとは思っていた、だが時既に遅しだ。正確にはまだクラスメートはクラスメートのままの筈なのに、自分とは遠くかけ離れた存在のように思えてならなかった。

先頭に立つ小さな肩の後に、深い海のような色の髪をしたクラスメートが続く。彼女は家柄の良い優等生、病弱だが論理の成績はクラスでは一番で学園内でもトップを争うほどの論理の秀才。クラスメートなのに、驚くほどそれ以上の印象がない。自分はあまり交友が広い方ではない上に元々クラスメートたちとは少し距離を置いていたが、もしかしたら彼女も理由はどうあれ自分と同じ系統だったのかも知れない。生まれつき身体が弱いらしく、実技の時はよく見学していたような記憶がある。でも級友からイタズラされていた時、相手の方が狼狽えるほど毅然としていたと言う話も同時に聞いたことがあった。確かによく見ると、彼女の顔には凛とした強い決意のような物が滲み出ている。もっともこれは、これまでの冒険で培われた物なのか元々の物なのかは分からないが。
深い海の瞳には、激しい感情の色が見られた。彼女とは臨海学校以前にあまり話したことがないのだが、それでも今の彼女の顔が珍しい物であることはよく分かる。その強い眼差しは、自分と言うよりは寧ろ背後にいるエニグマの王に向けられているような気がした。エニグマの王をバケモノと呼びながら自分に呼び掛けるその瞳と声からは焦燥と同時に、深く静かにけれど激しく燻り燃え盛るような怒りが感じ取られる。エニグマ以外の生物は死ねば再生出来ないと言われるこの場所には、何か人の心を見透す特別な力があるのだろうか。それは分からない、分からないが確かに、彼女の海の瞳の奥側から蒼い焔があぶれ出して来るような錯覚を覚えて一瞬目を細めた。

彼女のことが、知りたい。出来ればもう少し詳しく。何故彼女はこんなにも、エニグマを憎むのだろう。その心の奥に何を隠し、何を抱えているのか知りたい。こんな風に思ったのは、今が初めてだ。悲しいかな、それを口に出すことはもう叶わなかったが。意識が自分以外のなにかに飲み込まれる、そんな感覚がしている。自分で自分の意識を保つことがもう出来ない。彼女や、他のクラスメートたちからのありったけの言葉がちゃんと届いてる、届いてるのに。
みんな、どうか自分を止めてくれ。こんな気持ちのままいなくなるなんて出来ないから。祈りを込めながら意識を手放す。その時瞼の裏に浮かんだのは何故か姉ではなかったのだが、これは今考えても不思議なことだ。


その後は、色々だった。自分は融合が切っ掛けで魔法を失い、そしてみんなはエニグマの王を無事打ち倒したのである。そうして、長いようで短かった一夏の冒険は幕を閉じたのであった。これからのことは、正直見当も付かない。不安は確かにあるけれど、今自分の心を満たしているのはひたすらに希望だけである。使命を感じても、義務を感じたりすることはない。自分は姉を救うのだと、今度は確信していた。暗闇の中でもがきながら見つけた、一条の光が心を灯している。

でも1つだけ気がかりなことがあった。どうも彼女は、あの冒険の後もなにかを抱えているような気がする。自分の思い違いなら良いのだが。唯、自分を止めようとした時に見せたあの深い怒りの正体だけは絶対に知りたかった。
彼女の中の強い憎しみは癒しされただろうか、それとも未だ彼女の中でそれは燻り続けているのだろうか。もし、もしそうなのなら。自分の力でその怒りを鎮めて、怒りの炎で焼け焦げたその心を癒してやりたい。彼女本来の、穏やかな海を思わせる心に戻してやりたい。
クラスメートの中でも特にあまり話した記憶のない彼女に、こんなことを考える理由は未だによく分からないけれど。心にはもう固い決意が生まれていた。
やるべきことが全部終わったら、何時か。何時かゆっくりと彼女の話を聞きに行こう。必ず。

緩やかに吹き上げる風が、髪をかき上げる。姉のいる鉄格子はすぐ目の前に迫っていた。




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