君だから、(芥川) 「良いじゃん、彼女!そこでお茶してこうよ」 ぐいぐい腕を引っ張られる。 人は初めての怖い思いをしたときに、本当に声が出なくなるらしい。 「や…!」 周りの人も、見て見ぬフリをするだけ。 助けてなんて、くれなくて。 そう思ってギュッと目を瞑ったときに、バッと男の人の手が離れた。 思わず後ろに倒れそうになったところを抱き抱えられる。 「大丈夫?」 上から降ってくる少し低い声。 きつく閉じた目を開く。 「滝さん…!」 私を支えていたのは見慣れないスーツ姿の滝さんだった。 滝さんは私と少し目を合わせて微笑むと、私を背中側に回した。 「んだよ、邪魔しやがって!うまくいきそうだったのに」 「彼女は嫌がってたじゃない。ナンパとしては失敗でしょ」 「…っテメェ!」 突然、男の人が滝さん目掛けて殴り掛かってくる。 それを見た滝さんは私に小さく「3歩下がって」と指示した。 私が慌ててその指示に従った次の瞬間、滝さんは男を受け流して地面に取り押さえた。 * * * 「大丈夫?夢ちゃん」 「大丈夫です」 しばらくして警察が来ると、一応事情を聞かれただけで事なきを得た。 交番から出ると、心配そうな顔に迎えられる。 「ジロー、景吾…」 「萩之介!大丈夫か?」 「平気。俺があんなのに傷一つ負うわけいでしょ。」 「バカヤロー。無茶ばっかしやがって。…木川も無事か」 「はい…」 私は大丈夫なんだけど… 心中複雑そうなジローちゃんは一体どうしたんだろう。 跡部さんはそんなジローちゃんを見て、溜め息をついた。 滝さんは何かを察したのか、苦笑い。 「ジローちゃん?」 「…ごめん、夢…俺が、約束遅れたばっかりに…」 実は、滝さんが男の人を取り押さえてすぐに、待ち人のジローちゃんはやって来た。 暴れるその人を押さえるのにも一役買っている。 「萩ちゃんも、ごめんね…?」 「ううん。俺はたまたま居合わせただけだから」 横断歩道の反対側で、跡部さんが仕事の話をしているときに私を見掛けたのが、滝さん。 跡部さんは話を終えて、滝さんが居なくなったことに気付いて探しに来て合流した。 「でも、今度からは約束に遅れたりしちゃダメだよ、ジロー」 「…うん…」 じゃあね、と滝さんは跡部さんと一緒に立ち去った。 私たちはそこに残される。 重い沈黙。 「…ジローちゃん」 「夢…俺、ダメダメだしぃ…」 ジローちゃんには似合わない、疲れきったような笑顔。 ズキン、と心臓が痛みを訴える。 「…萩ちゃん、手先怪我してた」 「え…?」 「それなのに大丈夫って…」 思わず滝さんが歩いて行った方を見る。 滝さんは、左手を跡部さんの視界から隠すようにしている。 「萩ちゃん、ああ見えて強いんだもん。…凄いなぁ…」 「…その点なら、ジローちゃんも凄いよ」 ジローちゃんの手を取って、優しく握る。 「約束に遅れられて、こんなに酷いめにあっても…私、まだジローちゃんが好きだもん」 「夢…」 「ジローちゃんは、私のこと好き?」 わざとらしく、ジローちゃんを見上げて聞いてみる。 ジローちゃんは少し目を見開いて、それから微笑んで小さくうなずいた。 「夢が、好きだよ」 * * * 次の日の昼休み。 屋上テラスで待ち合わせをして、私たちはお茶を楽しんでいた。 「流石だね、夢ちゃんは」 「でもあんなに深刻な顔のジローちゃん、初めてだから本当に別れられちゃうかと思いましたよ」 「ふふ…」 滝さんの口元に当てられた左手には、がっちりと包帯が巻かれていた。 結局跡部さんに怪我が見付かって、滝さん曰く「大袈裟」に包帯を医者に巻かれたらしい。 「でも…夢ちゃんを想うがゆえのジローのその表情でしょ?」 「へへ…」 「幸せものめ!」 そう。 私を大切に思ってくれているからこそのあの表情。 不謹慎ながら、それがすごく嬉しくて。 深刻に考え込むジローちゃんを前に、幸せを感じていたりして。 「…これからもジローをよろしくね。」 「…はい…!」 「夢〜!萩ちゃん〜!」 「あ、ジローと景吾だ」 ジローちゃんは私に、跡部さんは滝さんの元にそれぞれ駆け寄った。 「何話してたの?」 「ジローの話だよ」 「俺!?」 ふふ、と笑って滝さんは跡部さんの背中を押して屋上を去っていった。 ジローちゃんの視線は…真っ直ぐ私を見ている。 好奇心旺盛…って言葉が頭を過ったくらい。 「どんな話っ!?」 「えぇ〜…」 「えぇ〜…じゃなくて!」 ズイッと顔が近付いてきた。 慌てて周りに人がいないことを確認する。 …誰も、いないよね。 それを確認して、私はジローちゃんに一瞬だけ口付けた。 「…内緒」 よく考えたら、何を話していたかなんてわかんない。 だから誤魔化そうとか、そう言う訳じゃないけど。 「ジローちゃんが大好きだよって話!」 今さら照れくさいけど、何があってもジローちゃんが好き。 ただそのことだけを、ジローちゃんに伝えたくて。 - fin - |