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嫌な予感がしたので、お昼休みになるなりすぐに旧資料室に逃げ込んだ。

殆どの書類がパソコンで制作されるようになったいま、旧体制時代の書類が保管されたこの旧資料室に足を運ぶ者は滅多にいない。

少々埃っぽいのが難点だが、一人きりになるにはもってこいの場所である。

そうしてお弁当を食べ終わり、お茶を飲んでほっと息をついたところだった。

「飯はゆっくり食えたか?なまえ」

「ヒッ!」

ここにいるはずのない人が目の前に現れ、一気に地獄に突き落とされたような気持ちになったのは。

「お、尾形係長…どうしてここに…?」

「お前のことなら何でもわかる。ここに逃げ込むだろうことも、な」

「めちゃくちゃ怖いです!」

「そう怖がるなよ。いいものやるから」

「いいもの…?」

警戒する私の前で、尾形係長は紙袋の中から細長い箱を取り出してみせた。

あ、これ知ってる。
テレビで見た有名ショコラティエの高級チョコだ。

「ほら、口開けろ」

おずおずと口を開けると、ハート型のルビーチョコを指で摘まんで口に運ばれた。
そのまま、もぐもぐと咀嚼する。
そうしなければ解放されないことがわかっていたからだ。

「よし、食ったな」

尾形係長はチョコを摘まんでいた親指をペロッと舐めて薄く笑った。

「俺からの逆チョコを食ったんだから、俺の女になったということだ。これで晴れて両想いだぜ」

「そ、そんな無茶苦茶なッ」

「幸い、ここには誰も来ねえ。いい場所を選んでくれたな、なあ、なまえ」

「ふえぇ…!」

後退りしようにも後ろは壁だ。
迫って来る尾形係長から逃れようと椅子の上で仰け反るが、無駄な抵抗だった。

「んんーッ!」

猫が噛みつくみたいにして唇を奪われる。
せめてもの抵抗に尾形係長の胸板をどんどんと叩くが、私に覆い被さっている尾形係長の身体はびくともしない。

「ん、ん、やぁ…あむ…」

息継ぎのために一度離された唇の隙間から喘ぐが、またすぐにぴたりと唇を重ねられ、生暖かい舌で口内をまさぐられてしまう。

このままではいけないとわかっていても、酸欠で次第に頭がぼーっとしてきた。
思考が上手くまとまらない。

そんな状態だから、尾形係長の手に胸をやわやわと揉みしだかれても、スカートを捲り上げられて太ももから際どい所まで手を這わされても、抵抗らしい抵抗が出来ずにいた。

「なまえ…」

唇を離した尾形係長が熱っぽい声音で私の名前を呼んだ、その時。

「苗字!いるか!?」

突然ドアがバタンと開き、鯉登係長がつかつかと室内に入って来た。

尾形係長の舌打ちが聞こえる。

「よくやった、月島!」

私を見つけた鯉登係長は、後ろを振り返って月島主任に声をかけた。

「あとを尾けられているとも知らず、馬鹿な奴め」

どうやら月島主任が尾形係長を尾行してここを突き止めたらしい。

「受けとれ、苗字。私の気持ちだ」

ばさりと私の前に差し出されたのは大輪の真紅の薔薇の花束。

それから、これまた有名な海外のチョコレートショップのロゴが書かれた紙袋を渡された。

「ありがとうございます、鯉登係長」

「そうか、嬉しいか。それならよか」

鯉登係長が精悍な顔を少し赤らめて頷いてみせる。
女性慣れしているはずなのに、まるで初めて恋をしている少年のようだ。
不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。

「…おい」

地を這うような尾形係長の声が私の意識を引き戻す。

「俺の目の前で浮気とは、いい度胸してるじゃねえか」

「浮気って…」

「なんだと?どういうことだ」

「こいつにはもう俺が先に逆チョコを渡しているので、なまえは俺のものだということですよ、鯉登係長殿」

「尾形百之助ッ、貴様ァ…!」

激昂した鯉登係長が尾形係長に食ってかかる。
が、やはりそれは早口の薩摩弁だったので、何を言っているのかさっぱりわからなかった。

「相変わらず何を言ってるかサッパリ分からんですな、鯉登係長殿。興奮すると早口の薩摩弁になりモスから」

そんな鯉登係長をまた尾形係長が煽る煽る。

月島主任が羽交い締めにして止めていなかったら、今頃殴りかかっていたことだろう。

その月島主任に今の内に早く行けと目線で促されたので、私はその場からこっそり逃げ出した。

その後、仕事を終えて帰宅しようとした私のもとへ尾形係長がやって来て胡散臭い笑顔でいずこかへ連行されることになるのだが、もちろん、この時の私はまだそんなことは知らずにいたのだった。


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