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何のへんてつもない、いつも通りの朝の通学途中。
大学へ行くための電車に乗ろうとしたとき、突然腕を引かれて誰かの胸に抱き締められた。
痴漢!?とパニックにならなかったのは、その感触も匂いもよく知っているものだったからだ。

「こんなところにいたのか、なまえ」

探したぞ、と耳元で囁いてくる低音は忘れもしない、あの、

「尾形さん…?」

顎の縫合痕こそ無いものの、ツーブロックのオールバックは相変わらずだし、髭も前と同じ形に整えられている。
いっそ怖いくらいに、尾形さんは尾形さんのままだった。
底の知れない、黒々としたその瞳も。

「どうした?幽霊でも見たような顔をして」

ただ違うのは、軍服の代わりに仕立ての良いスーツをピシッと着こなしているところだった。

「尾形さんがサラリーマン…」

「国家公務員だ。今はな」

「うそぉ…!」

いや、まあ、以前も軍人としてお国のために戦っていたわけだけれど。

「おい、スマホ出せ」

尾形さんに言われてスマホを取り出すと、すぐに奪われてあっという間に連絡先を交換させられていた。

「詳しい話は今度な。後で連絡する」

「…はい」

「なんだ、ぼーっとして。これから大学だろ。しっかり勉強しろよ」

軽く唇に触れるだけのキスをすると、尾形さんはホームの反対側に来た電車に乗り込んだ。
ざわめく人々の中に私を残して。
本当に勝手な人だ。
人の気も知らないで。

その夜、尾形さんから電話があったけど、私は出なかった。

こうして生まれ変わった以上、前世での関わりは忘れるべきである。
だから、私は尾形さんからの連絡を無視し続けた。


その一週間後。

母からの呼び出しで実家に戻った私は、リビングに入るなりギョッとした。

「遅かったな、なまえ」

尾形さんだ。
あの日と同じく、スーツを着た尾形さんがソファに座っていた。

「もう、なまえったら水くさいんだから。お付き合いしてる人がいるなら、ちゃんと連絡しなさい」

「お母さん…あの」

「尾形さんに聞いたわ。結婚を前提としたお付き合いをしてるって」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。なにぶん、彼女が恥ずかしがってなかなかご両親にご報告させてくれなかったものですから」

「いえ、いいんですよ。尾形さんのようなしっかりした方がお相手なら、安心して任せられます」

「恐れ入ります」

鶴見中尉なみの人たらしのテクニックだ、と内心ぼやきながら尾形さんを見れば、にっこりと愛想笑いを返された。
ただし、目は全く笑っていない。

「ほら、早く座りなさい」

母に無理矢理尾形さんの隣に座らされる。

それからは、まるで人形にでもなったような感じで、尾形さんと母の会話を黙って聞いていた。

なんでも今の尾形さんは、現在隠居中のさる高名な政治家の御落胤なのだとか。
今生においてもそんな重苦しい出自を背負っているのかとさすがに気の毒になった。
相変わらず愛情に飢えているのだろうか。

「なまえさんは必ず幸せにします。大学を卒業されたら、すぐに籍を入れる予定です」

「まあ、まあ!なまえをよろしくお願い致しますね!」

お茶のお代わりを淹れるために母がキッチンに行くと、尾形さんは私の手をとった。
分厚い、がっしりとした手で私の左手を包み込み、指先で薬指をなぞる。

「ここに指輪が必要だな。手錠代わりの指輪が」

「尾形さ…」

「俺から逃げられるとでも思ったのか?」

「それ、は」

「言ったはずだ。俺からは逃げられんと。俺は狙った獲物は絶対に外さない。必ず仕留める」

真っ暗な洞窟のような瞳にじっと見据えられて血の気が引いていく。

「何があろうと、お前だけは絶対に逃がさない。絶対に、な…」


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