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「今日から俺は脱走兵だ」

帰って来るなり、囲炉裏の前に胡座をかいて座りながら尾形さんが言った。

「どうしてそんなことに…」

尾形さんの話によると、彼の入院中に、彼を襲撃した犯人の行方を捜索していた人達が消息不明となってしまったため、部下の二階堂さんを連れて調べに行っていたらしい。

「鶴見中尉の隊に遭遇した際に、奴らに捕まった二階堂が寝返った。造反が露呈した以上、これからは身を隠しながら動くしかねえな」

それより、メシ、と訴えられたので、すぐに食事にすることにした。
尾形さんが帰って来る前に既に支度をしていたので、温めればすぐ食べられる。

「はい、どうぞ」

「鍋か」

「嫌いですか?」

「いや…」

何か言いたそうにしていたが、それ以上追求されたくないのか、尾形さんは黙って食べ始めた。

ご飯の後はお風呂だろうな、と用意をしに行く。
薪をくべて火をつけると、竹筒で息を送って燃焼を助けながら、ここの生活にも慣れてきたなと思う。

この家は、私がこの世界に来た時に最初にお世話になった老夫婦の息子さん夫婦が以前使っていたものだそうで、寄る辺のない私に詳しい事情も聞かず貸してくれたのだった。
勤め先も紹介してもらったし、あの老夫婦には感謝してもしきれない。

「尾形さん、お風呂どうぞ」

「ああ」

相変わらず考えが読めないけれど、この人の扱いにも大分慣れてきた気がする。

「お湯加減いかがですか?」

「ちょうどいい。一緒に入るか?」

「尾形さんのスケベ!」

ここのお風呂は一人用だから小さいし、冗談なのはわかっていたが、顔が赤くなってしまう。
この人はこうやって私をからかうのが好きなのだ。
そして、それに一々反応を返してしまう私は彼にとって良い玩具なのだろう。

「ちょ、これ穴空いてるじゃないですか!」

「撃たれたからな」

「撃たれたって…」

「双眼鏡に当たって助かった。あれがなけりゃ今頃土手っ腹に風穴が空いてただろうな」

「もう、尾形さんのばかばかッ」

「泣くか繕い物をするかどっちかにしろよ」

穴の部分に端切れを当てて、ちくちく縫っていると、尾形さんが呆れたように言った。

お風呂から上がった尾形さんは洗い替え用の軍服に着替えている。
いつ何が起こってもいいようにと、寝る時でも必ず軍服を着ているのだが、私のほうはそうもいかない。
着物で寝るのはキツイので浴衣で寝ているけど、一応、すぐ動けるように荷造りはしてある。

「布団は一組でいいだろ」

「何言ってるんですか。今日は大変だったんだからゆっくり休んで下さい」

「…チッ」

「舌打ちされてもダメなものはダメです」

渋々といった風に尾形さんが布団に入ったのを見届けてから、私も自分の布団に入った。

灯りを消してもすぐには眠れなかったので、アイヌの金塊とやらについて考える。

鶴見中尉という人は、自ら指導者となって北海道に軍事政権を実現させたくて、そのための軍資金としてアイヌの埋蔵金を狙っているらしい。
では、金塊とは、国を動かせるほどの大金と同等の価値があるということなのだろうか。
いま、その金塊をめぐって、様々な思惑が入り乱れている。
私のような一般人からすると、なんだかちょっと怖い話だ。

「なまえ」

暗闇の中、尾形さんの声が聞こえてきた。

「こっち、来いよ」

私は少し迷った末に、布団から出て、尾形さんがいるほうへ恐る恐る手を伸ばした。
その手を掴まれて、ぐいと引き寄せられる。
尾形さんの布団の中は尾形さんの体温でぬくぬくとあたたかかった。

「やっぱり、一組で良かっただろ」

暗闇でも尾形さんが得意げな顔をしているのがわかる。
素直に答えるのが悔しくて、私は尾形さんの胸に顔を埋めて身体をすり寄せ、寝たふりをした。

「素直じゃねえな」

含み笑った尾形さんの手が、私の背中を撫でる。
今日、たくさんの人を撃ってきたはずのその手は、とてもあたたかくて心地よかった。

「刺青人皮の在りかがわかったら、今度はお前も連れて行ってやるよ」

「足手まといになるのに?」

「しょうがねえ、お前は俺の女だからな。ちゃんと守ってやるから安心しろ」

「尾形さんが優しい…」

「俺ほど優しい男は他にいねえだろうが」

「おやすみなさい」

「おい、こら」

私はこの人についていく。

たとえ、ぬるま湯のように心地好い今の暮らしを捨てることになったとしても。


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