1/1 


金塊の分け前を得たあと、尾形は鶴見中尉のクーデターの証拠を手土産に軍属へと復帰した。
だが、それはあくまでも脱走兵のままでは都合が悪かったからであり、復帰してすぐに彼は軍を辞めてしまった。

軍人でなくなることに抵抗はなかった。
子供の頃、祖父の猟銃を持ち出して鳥を撃っていた経験から、銃さえあれば生きていけるとわかっていたからだ。
実際、獲物が人間から鳥や猪に変わっただけで、銃さえ撃てれば彼はそれで満足だった。
そう思うようになっていた。

「帰ったぞ」

「お帰りなさい、百之助さん」

家の裏手で捌いた鳥を片手に土間に入って行けば、奥の部屋からなまえがすぐ顔を出して出迎えた。
まあるく膨らんだその腹部を見るたび、満足感にも似た想いが込み上げてくる。

「あ、鳥。捌いておいてくれたんですね」

「ああ」

「ありがとうございます」

なまえはつわりのせいで自分で鳥を捌けないことを気にしているようだが、尾形にとっては何でもないことだ。
食事を作る分にはまだ大丈夫なのだが、血の匂いがダメらしい。
身籠るまではさくさく捌いていただけに、なまえはそんな自身の身体の変化がもどかしいようだった。

「気にするな。俺が好きでやっているんだからな」

それは本心からの言葉だった。
なまえのためなら何でもしてやりたい、何を差し出しても惜しくないとさえ思う。

──なにせ、こいつはいま俺の子を孕んでいるのだ

狂喜に震えるほど彼が喜んでいることを、なまえはよくわかっていない。
喜んでくれているらしいということは知っていても、尾形の気持ちの半分も理解出来ていないだろう。

「ぎゅってしてもいいですか?」

「汚れるぞ。着替えてからにしておけ」

「じゃあ、お風呂沸かして来ますね」

「いや、俺がやる。お前は大人しくしてろ」

「百之助さんが優しい…」

「俺がお前に優しくなかったことがあったか?」

「ふふ、そうですよね」

嬉しそうに笑って尾形の手を取ると、なまえはその手を自らの頬に押し当てた。

「この手でずっと私を守ってくれましたよね。嬉しかったなあ」

「自分の女も守れねえようじゃ、何のために鍛えてきたのかわからねえだろうが」

「百之助さんのそういうところ、大好きです」

汚れるからよせと言ったのは自分なのに、尾形は耐えきれずになまえを抱き寄せていた。
もちろん、彼女のお腹の中にいる命に気を遣いながら。

「百之助さん、いま幸せですか?」

「言うまでもねえだろ」

自然とそんな言葉が口からこぼれ出ていた。
何をもって幸せというのかなど、今まで考えたこともなかったのに。
では、いま自分は幸せなのだろうか。
幸せでいても良いのだろうか。

母の、父の、勇作の顔が浮かんでは消えていった。

なまえが優しく微笑みながら自分を見上げている。
その唇に口付けながら、尾形はようやく自分に欠けていたものが何かわかった気がした。


「尾形さん?」

「…百之助、だろ」

言ってから、自分の声に違和感を覚えた。
まるで寝起きのような、ぼんやりとした声。

「良い夢を見ていたんですね。まだ夢を見ているみたいな顔をしていますよ」

なまえがくすくす笑っている。
彼女を抱き込んで寝ている自分の状態に気付き、尾形は憮然とした。

「笑うなよ」

「ごめんなさい。でも、どんな夢だったんですか?」

「言ったら、お前笑うだろ」

「笑わないから教えて下さい」

「そうか。なら…」

不穏な笑みを浮かべた尾形からなまえが逃げ出そうとする。
しかし、それより早く彼はなまえを捕まえていた。

「んんーッ!?」

夢の中では優しく唇を触れ合わせるだけだったが、今度はがっつりと口を深く合わせて、朝から濃厚な口付けを交わす。

「はッ…ぁ…朝からなにするんですかッ」

「だから、夢の再現だろ。まさかお前から誘ってくれるとはな。大胆なのは嫌いじゃねえ」

「さ、誘ってなんか…」

「夢の中で、お前は俺の子を孕んでいた。再現してほしいというなら、願ってもねえことだ」

「えっ」

「遠慮するな。望み通り孕ませてやるよ」

「ひぇっ!」

じたばたともがいて逃げ出そうとするなまえを自分の身体の下に押さえこみ、あちこち触ってやれば、途端にあられもない声が上がる。

「尾形ちゃん、さすがに朝からはどうかと思うぜ」

「尾形ぁ、アシリパさんの教育に悪いから、そういうことは他所でやりなさい」

そういえば邪魔者が居たんだったなと思い出した尾形は手を止めた。
その下からなまえが必死に這い出てアシリパのもとへ行く。

「アシリパちゃん!」

「尾形、無理矢理は良くない」

自分より細い少女に縋りつくなまえを見遣って、尾形は髪を撫で付けながらフンと鼻を鳴らした。

そういうところだぞ、尾形上等兵ッ!という幻聴が聞こえた気がして舌打ちする。

「…チッ」

所詮は夢だ。
いまは金塊のことに集中するべきである。

彼の中には夢の残滓がほのかな温もりとともにまだ微かに残っていた。
それが消えて無くなることを惜しんでいる自分に気付いて、らしくもなく困惑する。

あの優しい光景をいつか現実のものにしたい、と。

密かに決意したことは誰も知らない彼だけの秘密である。


  戻る  
1/1
- ナノ -