今夜、ついに網走監獄への侵入を決行することになった。 最後の確認なのか、尾形さんは銃の点検に余念がない。 チセの中の壁際に座り込み、黙々と銃の手入れをしている。 気のせいかもしれないけれど、侵入口の様子を見に行って帰って来てから尾形さんの様子がおかしい気がする。 向こうには土方さん達が居たはずだけど、彼らと何かあったのだろうか。 こんな風に心配するくらいならやっぱり一緒に行けばよかったと後悔した。 こういう時、自分の無力さを痛いくらいに実感する。 私は尾形さんに助けられてばかりで、彼に何もしてあげられていない。 支えにすらなれていないのではないかと思うと、情けなくて涙が滲んだ。 「なまえ。こっちに来い」 急に名前を呼ばれ、慌てて尾形さんのもとにまろび寄った。 手拭いで手を拭いた尾形さんが、私をひょいと膝の上に抱き上げる。 「尾形さん?」 「甘えたかったんじゃねえのか」 「ち、違…」 「いいから、そこで大人しくしていろ」 私を膝の上に抱っこしたまま尾形さんはまた銃の手入れを始めた。 何ヶ月も一緒にいて、もうすっかり身体に馴染んでしまった、尾形さんの匂いと体温。 それに包まれて安心すると同時に僅かな違和感を覚えた。 やっぱり今日の尾形さんはどこかおかしい。 いつもと違う。 「土方さん達と何かあったんですか?」 「……」 「私には言えないことですか?」 「……」 「尾形さん」 黙って手を動かしていた尾形さんが、ふと手を止めた。 その黒々とした目が私を捉えてジッと見据える。 「今夜、作戦が始まったら俺の側を離れるな」 「は、はい」 私が頷いたのを確認すると、尾形さんはそれきり黙ってしまい、また黙々と銃の手入れを続けた。 今夜の作戦では、尾形さんは山に隠れて、何かあれば狙撃で杉元さん達の援護をすることになっている。 私はてっきり、家永さん達と一緒にコタンで待機していろと言われると思っていたので、尾形さんの言葉はちょっと意外だった。 もしかして、最悪の場合、このコタンにも危険が及ぶと考えているのだろうか。 尾形さんは基本的に自分以外の人間を信用していない。 でも、この旅を通して少しずつだけど変わってきているように思えたのに。 最近では特にアシリパちゃんには気を許しているように見えたのだが、今の尾形さんはまるで誰も信用していなかった頃に戻ってしまったみたいだ。 何だか嫌な予感がする。 今夜、何事もなく無事に作戦が遂行されればいいのだけれど。 しかし、嫌な予感ほど当たるもので、この夜もやはりそうだった。 「尾形さん…何を、誰を、撃っているんですか?」 私の声は、風にかき消されて、櫓の上に陣取っている尾形さんには届かない。 山にいるはずだった尾形さんは、突然私を連れて網走監獄へと入って行ったのだ。 「行くぞ」としか言われず、状況が全くわからないまま尾形さんについてきた私は、櫓の下で待つように言われて、先ほどから周囲から聞こえてくる喧騒にびくつきながら尾形さんが降りて来るのを待っていた。 その間に、尾形さんは何発か銃を撃っている。 何を、誰を狙って撃っているのかここからでは見えないが、朝から感じていた嫌な予感はますます強くなっていた。 何が起こっているのだろう。 やがて霧が出てきて、これ以上の狙撃は無理だと判断したのか、やっと尾形さんが櫓から降りて来た。 「来い」 銃を肩に抱え直して歩き出した尾形さんのあとに小走りでついていく。 途中、谷垣さんが鶴見中尉に捕まっているのが見えたが、尾形さんの足は止まらない。 着いた先は、万が一のために用意されていた予備の舟がある川岸だった。 先に来ていたアシリパちゃんと白石さん、キロランケさんが何か話しているところに尾形さんは私を連れて行った。 「舟を出せ。逃げるぞ」 「尾形!!」 アシリパちゃんがすぐに反応してこちらを向く。 「谷垣源次郎は鶴見中尉たちに捕まった」 「!?」 尾形さんの言葉にアシリパちゃんが驚いた顔をする。 「アチャと杉元は…!?」 「近付いて確認したが、ふたりとも死んでいた」 尾形さんがそう告げた瞬間、アシリパちゃんは悲痛な声を上げて倒れ込んでしまった。 それを咄嗟に白石さんが支える。 どうして どうして どうして そんな言葉が私の頭の中をぐるぐると回っていた。 尾形さんは嘘をついている。 杉元さん達の死体を確認したりしていないはずだ。 どうして、そんな嘘を? そこで思い出したのが、あの櫓の上からの銃撃だった。 もしかして……尾形さんが、杉元さん達を狙撃したのではないだろうか。 そして、アシリパちゃんには二人が死んだことにした。 そう考えれば辻褄が合う。 でも、どうして? 「行くぞ、なまえ」 先に舟に乗り込んだ尾形さんが、私に向かって手を差し伸べる。 尾形さんが何を考えているのかわからない。 でも、私はこの人について行くと決めたのだ。 私は尾形さんの手を取って、舟に乗り込んだ。 私は尾形さんから離れない。 最期のときまでずっと彼の側にいる。 例え、この舟の行き先が地獄だとしても。 |