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私達はいま、樺太アイヌの村を訪れている。

大泊の港で船を降りたあと、キロランケさんの案内でここまでやって来たのだが、まだここは目的地というわけではないようだ。

まだまだ長旅の入口という雰囲気である。

樺太アイヌは冬と夏にそれぞれ使う家があるそうで、私達は冬の家の中にいた。

「私、エノノカ」

「私はなまえ。よろしくね、エノノカちゃん」

エノノカちゃんの名前は、アイヌ語でコケモモという意味らしい。
なんでも、コケモモの塩漬けを食べ過ぎて吐いてしまったのだとか。
それが名付けのエピソードだなんてちょっと切ない。
いつもなら真っ先に興味を示しそうなアシリパちゃんはずっと押し黙ったままだ。

キロランケさんと尾形さんはエノノカちゃんのおじいさんと何やら話し込んでいる。

「これフレップの塩漬け。甘酸っぱくて美味しい」

エノノカちゃんが差し出した器には小さな赤い実が沢山入っていた。

「食べていいの?ありがとう」

私が受け取ると、エノノカちゃんは嬉しそうに笑ってアシリパちゃんにもそれを差し出した。
たぶん、元気がないアシリパちゃんを心配して気を遣ってくれたのだと思う。
これまでもずっとそうだったけど、アイヌの人には親切にして貰ってばかりだ。

彼女の気持ちが伝わったのか、アシリパちゃんは素直にフレップの塩漬けを口に運んだ。
一つ、また一つと食べていき、えっそんなに食べるの?と思ったところで、

「…ヒンナ」

アシリパちゃんの口からようやくいつもの言葉がこぼれ落ちた。

「ヒンナ、ヒンナ」

ほんの少しだけ笑顔を取り戻したアシリパちゃんに、エノノカちゃんも笑顔を返した。

北海道アイヌの少女と樺太アイヌの少女の間で心の交流が行われた瞬間だった。

「少し元気が出たみたいで良かったな」

「そうですね」

私は感動のあまり白石さんと顔を見合わせて涙ぐんでいたのだが、振り返った尾形さんに目敏く見つけられてしまい、「何を泣いている」と呆れられてしまった。

ごしごしと手で目元を擦って誤魔化そうとしたら、その手を掴まれてやんわり止められる。

「擦るな。余計赤くなる」

尾形さんが親指の腹でそっと優しく目元を拭う。
エノノカちゃんがキラキラした笑顔でこちらを見ているのに気付き、私は慌てて尾形さんから離れた。
甘やかされているところを見られてしまったようでちょっと恥ずかしい。

「フレップ美味しかったね、アシリパちゃん!」

照れ隠しにアシリパちゃんに話しかければ、尾形さんに怪訝そうな目で見られた。

とは言え、尾形さんもアシリパちゃんの様子が気になっていたようで、彼女に目を向けると

「まだ歩けるか」

と尋ねた。
アシリパちゃんが頷いたのを見て、私もほっとする。

「これからどうするんですか?」

「北に向かう」

答えたのはキロランケさんだった。

更に北上するということは、やはりパルチザンの仲間と合流するつもりなのかもしれない。

本当にそれでいいのだろうか。

アシリパちゃんを見る。

アシリパちゃんにとって、それは良い結果に繋がると本当に言えるのだろうか。

白石さんも同じことを考えているのか、複雑そうな表情をしている。
白石さんは杉元さんにアシリパちゃんのことを頼まれたと言っていた。
だから、なるべくアシリパちゃんは白石さんと一緒にいたほうが良いと思う。
それだけは私にもわかる。

「行くぞ、なまえ」

でも、いまは尾形さんについていくしかない。


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