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「あっ、なまえさん!お久しぶりですね」

「こんにちは、梓さん。ご無沙汰しています」

「いえいえ、いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」

ポアロの店内に入ると、ドアベルの音に反応した梓さんにすぐ見つかってしまった。
隠れるつもりはなかったのだけれど、何となく申し訳なくていたたまれない気分になる。
隠し事をしているせいで後ろめたい気持ちがあるからだろうか。

その原因である零さん……いや、安室さんは、私がテーブルにつくやいなや、お水の入ったグラスをトレイに乗せて当然のような顔でオーダーを取りに来た。
完璧な余所行きの笑顔だ。

「いつものでよろしいですか」

「はい、お願いします」

ここまでは普通。
常連客と店員の、ごくありふれた会話なのでセーフだ。
安室さんがカウンターの中に入ったのを見届けて、今朝彼が私に告げた言葉を思い出す。

「今日は早番だから、俺が上がる頃にポアロにおいで」

零さんが何を思ってそんなことを言い出したのかはわからないが、私としては従うしかない。

窓の外を眺めながら、私は初めてポアロを訪れた時のことを思い出していた。
あの時は全く危機感も悲壮感もなく、ただ純粋に安室さんに会えることを楽しみにしていた。
今思うと完全に舞い上がっていたから恥ずかしい。
もしかしたら元の世界に戻れないのではないか、というよりこれからの生活どうしよう、という不安に襲われたのはその後だった。
我ながら情けない話である。

「何を考えているんです?」

ひえっ!

「あ、安室さんっ」

「すみません。ぼんやり外を眺めていたので気になって、つい」

だからって不意打ちで耳元で話しかけてくるのはやめて下さい。
心臓に悪いです。

そういう思いをこめて軽く睨み付けたのだが、笑顔で軽くかわされてしまった。手強い。

「それで、何を考えていたんですか」

「初めて安室さんに会った時のことを思い出していました」

「僕のことを?嬉しいですね」

にこにこと笑ってはいるが、あの時私がうっかり口を滑らせて、「降谷さ、ちが、バーボン…じゃなくて!」と口走ってしまったために正体を疑われるはめになったこと、まだ忘れてませんからね。
バーに連れて行かれた後、ホテルまで追いかけて来た零さんに絶対零度の声と表情で尋問されたことは未だにトラウマだ。

「あの時から既に、僕達は結ばれる運命だったんですね」

「ちょ、安室さん…!」

他にお客さんがいなくて良かった。
今の発言を蘭ちゃんや園子ちゃんに聞かれていたらと思うと、阿鼻叫喚の修羅場しか想像出来ない。

「安室さん、それってもしかして」

「!」

そうだった。梓さんがいたんだった。

「ええ。ようやくなまえさんから良いお返事を頂いて、お付き合いすることになったんです」

「やっぱり!怪しいと思ってたんですよ!おめでとうございます!」

「ありがとうございます」

「もー、なまえさんたら水くさいんですから!それならそうと早く教えて下さいよ」

「す、すみません」

「そういえば、今日安室さん、早番でもうすぐ上がりですよね。もしかして一緒に帰ったりとか?」

「鋭いですね、梓さん。実はこの後デートなんです」

「きゃー!もうラブラブじゃないですかっ」

梓さんが可愛らしく両手で頬を押さえて囃し立てる。

もう笑うしかなかった。


「デートするなんて聞いてませんでした」

「あれ?言ってませんでしたか?」

ポアロを出て並んで歩きながら抗議するが、安室さんはとぼけたふりをして追求をかわしてみせた。

昨夜はまるで台風のような雨風だったけれど、今日はよく晴れている。
雨上がり特有の澄んだ空気が心地よい。

「いいじゃないですか。たまには息抜きが必要でしょう?」

「それは…まあ」

「僕とデートするのは嫌ですか?」

「その言い方はずるいです」

いつも忙しい零さんの息抜きになるなら、と彼の手を握ると、恋人繋ぎにして握り返された。
そのまま駐車場まで歩いて、彼の愛車に乗り込む。

「初デートがトラウマになってるみたいだから、改めてやり直そうと思ったんだ」

優しく微笑んでそんなことを言われては、文句を言えるはずがない。

「どこに行きたい?」

「零さんとなら、どこへでも」

「じゃあ、またあのバーからはじめようか」

「もう、零さんの意地悪っ」

青空の下、零さんの明るい笑い声が響いた。


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