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零さんをほぼ隙の無いパーフェクト・ヒューマンたらしめているのは、日々のたゆまぬ努力があってこそなのだと、彼と生活を共にするようになって強く思った。

いかなる時でも常にベストな状態を保とうとする零さんは、日課となっているトレーニングを欠かさない。

全力ダッシュして記録を計った後は、腹筋、腕立て伏せに、縄跳びや懸垂も。
あのキレの良いパンチや身のこなしも、相手に見立てたコンクリートの壁に向かって寸止めパンチを繰り返す訓練やシャドーボクシングなどがメニューに組み込まれている成果なのだろう。

「ただいま」

「お帰りなさい」

いつものことなので大体帰って来る時間はわかっていた。
トレーニング用のウェアに汗を滴らせている零さんを出迎えて、よく冷やしておいたスポーツドリンクを渡す。

「ありがとう」

受け取った零さんは、殆ど一気にそれを飲み干してから、「シャワーを浴びて来るよ」と言ってバスルームに向かった。
隙の無い奥さんを目指す私としては、脱衣所には既に着替えを用意してあるので、ここまでは予定通りである。

零さんの姿が消えてから、密かにほっと息をつく。
どうやら今日も何事もなくトレーニングを終えられたようだ。

彼がトレーニングに行っている間、私は心配で仕方がない。

こちらの世界に来る前、スピンオフ漫画の中で、赤井さんに対する何ともやりきれない気持ちの発露として壁に拳を叩きつける様子や、迷いこんで来た犬に「君も独りぼっちか」と語りかける姿を見ているから、余計に。

どうしたら孤独な彼を癒してあげられるのだろう。
それはこの世界に来る前からずっと胸を痛めてきた問題だった。

「なまえ?」

名前を呼ばれてハッと我に帰る。

「さっぱりしました?」

「ああ」

零さんが腕を広げたので、少し照れくさく思いながらも彼に抱きつく。
そうすると、私の身体は彼の腕の中にすっぽりと収まってしまう。

「さっき、出来なかったから」

「ふふ、お帰りなさい、零さん」

「ただいま、なまえ」

ぎゅーっと抱き締められると、先ほどまで悩んでいたのが嘘のように幸せな気持ちになれた。
零さんの意外と逞しい身体に包まれながらすりすりと頬擦りしたら、フッと笑った零さんも私の首筋に顔を埋めてそこに口付けた。
くすぐったさに、笑って身をよじれば、逃がさないとばかりに抱き締める腕の力が強くなり、今度は唇へとキスをされる。

「なまえ」

唇を触れ合わせたまま愛おしげに名前を呼ばれて、胸がきゅんとなる。
そのまま何度か唇をついばんでから、深い口付けへと移行した。

「ん……は、…ん」

零さんはまだ上手く息継ぎが出来ない私のために時々唇を離しては、そのたびに角度を変えて口付けてくる。
舌と舌が絡み合い、互いの身体が熱を帯びてくるのがわかる。
その幸福感に浸りかけて、いやいや、私が癒されてる場合じゃないと思い直す。

ただいまのキスにしては情熱的すぎるそれが終わると、まだ物足りなそうな顔をしている零さんから身体を離して私は言った。

「零さん、マッサージしましょうか。こう見えて結構上手いんですよ」

「へえ…じゃあお願いしようかな」

「あ、信じてない顔」

「信じてる信じてる」

「じゃあ、ベッドに行きましょう」

「了解」

あっ、という間に零さんに抱き上げられて寝室まで運ばれてしまった。
ベッドの上に降ろされたかと思うと、零さんが上から覆い被さってくる。

「零さん?」

「なまえがベッドに行こうなんて誘うから」

「ん、ん、だめっ…」

「嫌だ。逃がさない」

首筋や頬にキスを降らせてくる零さんから逃れようとすれば、顔の横でしっかりと手を押さえつけられながら胸元に顔を埋められた。
双球の弾力を楽しむように顔をすり寄せ、すんすんと匂いを嗅いでいる。

「柔らかくていい匂いがする」

「もう…」

当初の予定とは違ってしまったが、甘えてくれるのは信頼されている証拠、と嬉しくなった。

零さんは、器用に片手でブラウスのボタンを外しながら、もう片手でスカートの裾をたくしあげ、露になった素足をするりと撫で上げた。

「僕は充分君に癒されているよ」

「本当に?」

「ああ。だから、今は君を食べたくて堪らない」

トレーニングをして帰ってきた零さんは、いつもこうして私を求めてくる。
昂る心のままに貪られるのは、決して嫌ではない。
嫌ではないけれど、心配にはなる。
少しでも彼の孤独を癒すことが出来ているのだろうか、と。

肌の上を巧みに滑る零さんの手の感触に、身震いしたくなるような悦びを感じながら、私は慈しむように零さんの髪を撫でていた。


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