相澤先生の右目の下、無惨な傷痕が残る場所に唇でそっと触れる。 彼の個性は『抹消』。視た者の「個性」を一時的に消し去ることが出来る。 その発動時間の短縮とインターバルの増加。 それがこの傷のもたらした後遺症だ。 「まだ痛みますか?」 「時々な。まあ、傷痕なんてそんなもんだろう」 気にするな、と頭を撫でられた。 普段厳しくて素っ気ないのに、こんな時だけ甘いから困る。 ただでさえ行為の後の甘ったるい時間、仰向けに寝ている先生の上に乗せられているこの状況で、そんなに優しくされたら照れくさくて仕方がない。 「それより、お前はいつまで先生と呼ぶつもりだ」 「いつまでって…」 確かに、三月に卒業してしまった私はもう彼の生徒ではない。 けれども、長年の習慣はそう簡単には変えられないものだし、何より“先生”という呼称が気に入っていた。 「先生はいつまでも私の先生です」 「もう俺の生徒じゃない」 「じゃあ、なんて呼んだらいいんですか?」 「名前でいいだろう」 まさか、あの相澤先生が自分を名前で呼べと言ってくれる日が来るとは思わなかった。 初めはあからさまに邪険にされて傷ついたりしたものだけど、苦節三年、私の粘り勝ちだ。 「じゃあ、相澤さん」 「なんで苗字なんだ」 「じゃあ…消太さん」 「ああ、それでいい」 「なんだか恥ずかしいです」 「セックスしておいてなんだ今更」 「もう!先生っ!」 「名前」 「もう!消太さんの意地悪!」 「大人は皆こんなもんだ。勉強になっただろう」 「大人って…大人って…ずるい」 「今頃わかったのか」 私がしくしく泣き真似をしている間、消太さんは私の身体を好き放題に触っていた。 ねちっこい愛撫に、くすぶっていた火が簡単に燃え上がりそうになって慌てる。 こんな風にしておいて、その張本人である消太さんは素知らぬ顔だ。 大人って、ずるい。 「そこの紙袋、開けてみろ」 「えっ」 「転がってるだろ、それの中身を見てみろ」 消太さんに言われた通り、床に無造作に転がっていた紙袋を取って中身を覗き込む。 「……本?」 中身はどうやら雑誌のようだ。 週刊誌の厚さではなく、それなりに分厚い。 紙袋から取り出して表紙が見えた途端、驚きで目が丸くなった。 「結婚情報誌?」 何の雑誌かと思えば、よくテレビでCMをやっている有名な結婚情報誌だった。 ピンクの婚姻届が付録で付いているあれだ。 「どうして…」 「必要だから買ったに決まってるだろ。婚姻届も付録で付いてるから合理的だ」 「…先生の馬鹿」 「ひどいな」 目尻に滲んできた涙を乱暴に手で拭うと、その手を取られて、唇に少しかさついた唇が押し当てられた。 後でリップを塗ってあげないと。 「式はどうしたい?あまり面倒なのは無しで頼むぞ。派手なのは合理的じゃない」 消太さんの肩口に顔を押し付けて身体を密着させると、力強い腕に優しく抱き締め返された。 私の旦那様になる人は、合理的なものの考え方をするあまり日常生活に関することはちょっと面倒くさがりだけど。 私にとっては、間違いなく最高にカッコいいヒーローだ。 |