「相澤先生」 廊下で見かけた黒衣の背中に声をかけると、いかにも面倒そうな様子でこちらを振り返った。 何の用だと言わんばかりの冷ややかな目付きで、じろりと見られる。 「サポート科の先生から資料を預かってます」 「…ああ」 既に話は通っていたのか、相澤先生は納得したように頷いて私が持っていたファイルを受け取ってくれた。 「それでは失礼します」 「気をつけて帰れよ、苗字」 教育者らしい物言いに思わず笑みが漏れる。 「先生、さようなら」 * 日曜日。 私は途中のスーパーで買い込んだ食材が入った袋を両手に、急ぎ足で目的地に向かっていた。 そこに辿り着くと、ドアを開けて真っ直ぐキッチンに向かう。 相澤先生はリビングのソファに座り、パソコンで何かの作業をしていた。 「すぐご飯作りますね」 「悪いな。暫く手が空きそうにない」 「大丈夫ですよ。お仕事してて下さい」 そんな会話を交わしてから、冷蔵庫の中身と買ってきた食材を使って手早く料理にとりかかる。 私が毎週末相澤先生の家に来ていることは誰にも話せない秘密だ。 先生と恋人同士であることも。 「ご飯出来ましたよ」 「ああ、こっちも丁度終わった」 パソコンを片付けたテーブルの上に、出来上がった料理を並べていく。 うん、美味しそう。 我ながらいいお嫁さんになれそうだ。 「お前もよく飽きないね」 ホタテはわさび醤油で。 酒蒸ししたアサリを卵でとじたものを食べながら先生が言った。 「こんなくたびれたオッサンの世話を焼くよりも、周りにいくらでもいい男がいるだろうに」 いかにも合理的じゃないと言いたげだが、先生だって同じはずだ。 「そういう先生だって、こんな小娘なんかより素敵な女性が周りにたくさんいるじゃないですか」 「俺は仕事に私情は持ち込まない」 そうだ。だからこそ、学校で会っても知らんぷりをするということになっているのだ。 「先生はどうして私を好きになってくれたんですか?」 「さあな。単なる気まぐれかもしれんぞ。あるいは、若い女と遊びたかったか」 「合理的虚偽!」 「どちらかと言えば非合理だな」 プシッと音をさせてビールの缶を開けた先生は、それをぐびりと飲んだ。 目の前に晒された喉元で喉仏がなまめかしく動く。 先生は時々凄くセクシーだ。 長い黒髪も、無精髭も、眠たげな半眼も、どれも素敵だけど。 こういう何気ない仕草が一番くる。 「ごちそうさん。今日も美味かった」 「いえいえ、お粗末様でした」 ビールを飲み、料理を食べ終えた先生が箸を置く。 「先に風呂に入るか?それとも」 私は返事の代わりに先生に抱きついた。 すると、まるでそうすることがわかっていたように唇が降りてくる。 ビールの苦味の残る舌に、私は自分の舌を夢中で絡めた。 * 「おい、起きろ」 セックスの後はいつも眠くなる。 二回した後でお風呂に入ったらそこでもうバタンきゅうだ。 先生のベッドで少し寝て、それからのろのろと帰り支度を始める。 それがいつものパターンだった。 「忘れ物はないな」 「ひとつだけ」 「なんだ」 先生の首に腕を回し、甘えるように抱きついてキスをする。 ちゅっと触れるだけのつもりだったが、舌を入れられて深い口付けになった。 散々口腔を蹂躙されてからやっと解放される。 「せんせえ…」 「今日はもうおしまいだ。お前は優等生だろう?」 こんな時だけ教育者の顔に戻るのはずるいと思う。 そんな不満が顔に表れていたのか、宥めるように頭を撫でられた。 「気をつけて帰れよ、苗字」 大人って、ずるい。 |