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明智健悟の朝は珈琲の香りから始まる。

オリジナルブレンドのそれの芳醇な香りに刺激されてゆっくりと意識が浮上するが、まだ完全に目覚めたとは言えない。

「健悟さん、朝ですよ」

そう言って彼の妻が優しく起こしてくれるまでは。
目を開けるとぼやけた視界に映っている愛しい妻の顔が近付いてきて、はっきりそれとわかる距離にまできた彼女の唇がそっと頬に触れる。
そこでようやく身体を起こした明智は、ベッドサイドに置かれていた眼鏡を手に取り装着して、今度こそクリアになった視界で微笑む愛しいひとの唇にキスを返すのだ。

「おはようございます」

「はい、おはようございます」

幸せそうにくすくす笑う妻の姿に、自らも幸せを感じながらベッドから抜け出す。
洗面所で顔を洗い、身支度を整えてからダイニングに向かえば、そこには既にいつもの朝食メニューが揃っていた。
外はサクッと中はふんわりとしたクロワッサンに、金色のスクランブルエッグ、噛んだらパリッと音がして肉汁が溢れ出してきそうなソーセージに、新鮮な野菜と果物を使ったサラダ。
そして、もちろん塩こんぶだ。

「毎日、君の作る味噌汁が飲みたい。そんなプロポーズの言葉がありますが、いまの私も同じ気持ちです。毎日、君が作る朝食が食べたい」

テーブルにつきながらしみじみとそう言えば、淹れたての珈琲のカップが目の前に置かれた。

「こうしてその願いが叶っているのが夢のようです」

「ふふ、健悟さんったら」

嬉しそうに笑った妻が新聞を手渡してくれる。まず始めは日本のものと決めている。
朝食を楽しみながらひとつも見落としがないようにそれに目を通していく。
朝食をすべて食べ終えた後は、同じように英字とフランス語のものにも目を通す。

「今日は何か予定はありますか?」

「特には。近所のスーパーにお買い物に行くくらいです」

なまえも以前は仕事をしていたのだが、明智が無理を言って専業主婦になって貰ったのだった。同僚からは今時では珍しい寿退社だと祝福されたらしい。
と言っても、何も家事をさせるためだけに仕事を辞めさせたわけではない。
警察という立場上、身内であるなまえにも危険が及ぶ可能性があるため、出来るだけ安全な家に居て欲しかったのである。
何重ものセキュリティに守られたこのマンションは安全が保証されていた。荷物の受け取りはコンシェルジュが行うことになっているし、ここにいればなまえに危害が及ぶことはないだろう。

「外出する時は気をつけて。何かあればすぐ連絡して下さい」

「はい、気をつけます」

金田一少年がいれば、奥さんには過保護なんですねとニヤニヤしながらからかわれたかもしれない。しかし、明智は真剣だった。彼には夫として妻であり家族である彼女を守る義務があるのだ。

新聞に目を通し終えた明智が洗面所で歯みがきをしてから戻って来ると、なまえがネクタイを直してくれた。

「健悟さんも気をつけて下さいね。くれぐれも怪我をしないように」

「さすがにもうそんなヘマはしませんよ」

犯人を追いかけたりといった泥くさい現場仕事からは退き、部下に指示を出す身である。かつて金田一や剣持警部と共に事件を解決していた日々が懐かしく感じられるが、指揮を取るといういまの彼の仕事もまた警察としては欠かせない仕事の一部なのだった。そのため、不満を感じたことはない。

「この薔薇は?」

出掛けようとした明智の目に、花瓶に飾られた薔薇の花が目に入った。

「昔からの友人から頂いたんです」

それは美しい純白の白薔薇の花束だった。
花言葉は『私は貴女に相応しい』

「白くて優雅で清潔感があって、健悟さんのイメージにぴったりですよね」

「それを言うなら、君にこそ相応しい」

考えすぎか、と苦笑した明智は靴を履き、玄関まで見送りにきたなまえにキスをした。

「では、いってきます」

「いってらっしゃい。健悟さん」


彼を見送るなまえは確かに白薔薇を贈るのに相応しい、清楚でたおやかな美しい微笑みを浮かべていた。


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