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天界と人間界を巻き込んだ盛大な姉弟喧嘩は、第三の朱点童子として生み出された一族の手によって幕を閉じた。

怒りや恨みつらみを水に流す事により、呪いから解放された。

二代前ならこうはいかなかっただろう。
もっと悲愴感や緊迫感があり、皆、追い詰められたギリギリの所で必死に生きているといった感じだった。

それが変わったのはなまえの父が当主となってからだ。
その頃には一族は穏やかな気性の情が深い者ばかりとなっていた。
それまでに交神してきた神々による遺伝の結果なのだろうが、長きに渡る因縁に決着をつける事に対して良いほうに作用したのは間違いない。

「なあ、イツ花」

買い物帰りに当主は何気ない口調で傍らの女に語りかけた。

「お前は俺達にとって大事な家族だ。姉であり母であり、歴代の一族の中には密かにお前に想いを寄せていた者もいただろう。お前にはその者達の分も幸せになって欲しい」

「それは…」

「俺達に幸せになる権利があるなら、お前だってそうだ。俺達はもう充分尽くして貰ったよ。これからは自分の幸せを考えて生きてくれ」

「そのお言葉だけでイツ花は充分幸せです。イツ花は……イツ花は……ううう」

「ハハハ、また泣くのか?いいぞ、たくさん泣いて、その倍笑って生きろ」

穏やかな笑い声が響いていた同じ頃、屋敷には来客の姿があった。

「イツ花と黄川人ばかりズルい!って姉さんが煩くてね。祟り神になりそうな勢いで羨ましがってたよ」

アハハと笑う黄川人はお気楽な調子だが、実際に祟り神になったりしたら洒落にならない。

「黄川人がこっちに入り浸るから」

「まあね。ここには君達がいるし、退屈しないで済むからサ」

鎧も羽も無いその姿は、黄川人として見慣れた格好だった。
天界に迎え入れられた後も本人は“黄川人”と呼ばれる事を好んだ。
不幸な生い立ちと怨念の染み付いた名だが、やはり最初に親から貰った大事な名前だから思い入れが違うのだろう。

「居心地が悪いわけじゃないよね」

なまえは黄川人の髪を撫でながら微笑んだ。

「黄川人の大切な人はみんなあそこにいるんだもの」

「でも君はいない」

膝枕の上でごろりと向きを変えた黄川人がなまえの下腹部に顔をうずめてぼやく。

「そういえば、お母さまから聞きました。黄川人がちゃんとお父さんやっててびっくりしたって」

「…まあ、これでも一応父親だからね」

腹に顔を押し付けたままでいるせいでくぐもった声が答える。

「心配しなくても、ボクの出番がないぐらい母さん達が張り切って可愛がってくれてるよ」

ここで言うところの“母さん達”というのは、彼の実母であるお業に、その双子の姉で黄川人に拉致されて母親代わりにされていた事もあるお輪、そして養母のお紺のことだろう。

「父さんや真名まで加わって、毎日誰かしらが面倒見てくれてる状態だから心配いらない。ボク一人に任せるより安心だろう?」

「そうですね」

「うん、だから子供の心配はいらない。遠慮なく甘えさせて貰うよ」

皮肉屋で破滅思考なのに、寂しがり屋で甘えん坊。
優しいけれど繊細な気質のこどもが、大人達の身勝手な都合や欲望に散々振り回され、理不尽な目に遇わされて。盛大に歪んでしまった結果がこの性格なのだと思えば、納得出来るような出来ないような。
なまえとしては母親と姉と恋人をいっぺんにやっている気分だ。

「ねえ、耳かきしてよ。あれ気持ち良かった」

「はいはい」

なまえは笑って小間物入れに手を伸ばした。


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