「ごめんね」

真っ暗な部屋の中、五条袈裟を纏った男が枕元に立っていて、布団に寝ている私を見下ろしている。
その男のことはよく知っているはずだったが、何故か「違う」と本能が訴えていた。

「夏油さん……じゃ、ない……?」

「へえ、よくわかったね。見抜いたのは君で二人目だ」

薄ら笑いを浮かべる目の前の男が「善いモノ」なのかか「悪いモノ」なのかわからない。
呪術師を辞めて久しいせいか、勘が鈍ってしまっているようだ。
それとも、夏油さんの姿をしているせいで惑わされているだけなのだろうか。

「君は元呪術師だけど、いまは術式を失っているから、ただの一般人に等しい。そうだろう?」

「……そうです。あなたは?」

「ここに結界を張った術師だ。ここは選ばれたんだ、死滅回游の場にね。残念ながら別に名誉なことではないよ」

「死滅回游……?」

「これから行われるゲームの名だ。殺し合い、と言えばわかるかな」

殺し合い──その言葉が脳に浸透するのに少し時間がかかった。

「はじめから結界の内側にいる君達には、結界を出る権利がある。一度だけね。君が望めば、目が覚めたら結界の外さ。どうする?」

「目が覚めたら……」

「そう。いまはまだ夢と現実の間、呪(まじな)いさ」

男が手を差し伸べてくる。
私は僅かに迷ってからその手に自分の手を重ねた。

「気をつけて、ゆっくりだ。外にはもう気の早い連中がいる」

重ねた手をやんわりと握られる。
立ち上がった私は男に手を引かれて暗闇の中を歩いていった。
一瞬だけ、見慣れた景色の中に跳梁跋扈する呪霊達の姿が見えた気がしたが、それも定かではない。

「そうだ、言い忘れるところだった」

前を向いたまま男が言った。
横顔は夏油さんその人にしか見えない。

「この身体の持ち主は、君のことを愛していたみたいだよ。死して尚、肉体に想いが残るほど、ずっとね」

──夏油さんが、私のことを?

ハッと我にかえると、私は「外」に立っていた。
大勢の人のざわめきが辺りに満ちている。
視線を巡らせると、黒い壁のようなものがそそり立っているのが見えた。見慣れた景色の一角が黒い壁に覆われている。
あの男が言っていた結界に違いない。

「夏油さん……」

私の呟きは人々の話し声にかき消されて誰の耳にも届かなかった。


 戻る 

- ナノ -