私はいま、地獄の閻魔大王の前で裁きを待っていた。 「トラックに撥ねられて…か。可哀想に…痛かっただろうね」 想像していたような恐ろしさはなく、閻魔大王は憐れむように私に語りかけてくる。 むしろ、傍らに控えている補佐官だという鬼のほうがよほど怖そうだ。 彼は私がここに入って来た時からずっと表情一つ変えずに、じっと冷徹な眼差しを注いでいる。 「そんなには…一瞬でしたし。死ぬのは怖くありませんでした」 殆ど即死状態だったせいか、肉体的な苦痛は一瞬だった。 それよりも苦しかったことがある。 親友だと思っていた子には、他に一番仲良しの子がいた。 大好きな彼には、他に好きな女の子がいた。 私が特別大切に想う人達にとって、私は特別な存在ではなかった。 二番目以下の存在でしかなかった。 だからこんな形で終わる事になっても全く未練はなかった。 「では、何故泣いているのですか」 怜悧な声が響いて、私は自分の頬に手をやった。 濡れている。 いつの間にか両の瞳からは、はらはらと涙がこぼれ落ちていた。 「怖くて泣いているのではないなら、何故泣いているんです」 私はぽつり、ぽつり、と自分にあった事と今の気持ちを話した。 その間、鬼は静かに話を聞いてくれていた。 「もしも『次』が存在するとしたら、その時は、どうか誰かの一番になれますように……それだけが今の望みです」 しん、と静まりかえった中に、はなを啜る音が響く。 閻魔大王が泣いていた。 もしかして凄くいいひとなんだろうか。 「困りましたね」 書類を爪でぴしりと弾いて鬼が言った。 「天国に行けるほど良い行いをしてきたわけでもなく、さりとて、地獄で責め苦を受けるほどの悪事も犯していない」 煩いですよ、と閻魔大王の向こう脛を金棒で殴った鬼は、私の目の前までやってきて、ひたと私の顔を見据えた。 「貴女、ここで働きませんか?」 「え……は?」 「苦行の代わりです。ハードな仕事ですが、罪人として責められるよりはましですし、何よりやり甲斐がありますよ」 「で、でも、私…」 「やりなさい」 「は、はいっ」 私がしゃきんと背筋を伸ばして答えると、鬼は満足そうに頷いた。 「鬼灯君、そんな勝手に…」 「何か文句でも?」 「い、いや、ないよ、無い!」 閻魔大王が慌てた様子で書類にポンと判子を押す。 あれできっと私の今後が決定したのだ。 「私は閻魔大王の第一補佐官の鬼灯といいます。これから貴女には私の部下として働いて貰いますから、そのつもりでいるように」 「はい」 「他の獄卒と相部屋はマズイでしょうから、部屋は私の隣の部屋を使いなさい。スケジュールや仕事内容については後ほど説明します」 「はい」 「よろしい」 ──…一瞬。 ほんの一瞬だけ、冷たそうだった鬼の口角が上がって唇が笑みを形作った気がして、目を瞬かせる。 「そんな事言って〜、実は鬼灯君、なまえちゃんに一目惚れしただけじゃないの?」 唸りをあげて空気を切り裂いた金棒が閻魔大王に襲いかかった。 |