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きっかけは、お香さんの簪(かんざし)を褒めた事だった。
綺麗な簪ですね、と。

「これ、鬼灯様に買って頂いたのよ」

一瞬、目の前が真っ暗になった気がした。

真面目をこじらせたようなあの方が、女性に贈り物をするなんて。
ああ、やっぱり噂は本当だったんだと思った。
昔ながらの長い付き合いだからか、幼なじみ特有のものなのか、二人の間には何か通じ合っているものが確かに存在した。
ただ親しいというだけじゃなく、お互いをよく知っているような──そんな雰囲気が。

失意のまま、いつの間にか私の足は桃源郷へと向かっていた。
高天原ショッピングモールへと。

並ぶ簪。
シャラシャラと涼やかな音を立てて見本として飾られていた簪が揺れる。

「これが欲しいの?」

優しい声がして、見入っていた簪が誰かの手に取られる。
白澤様だった。
にこやかな笑みを浮かべていた彼は、振り返った私の顔を見るなり眉をひそめた。

「どうしたの。悲しい事でもあった?」

泣きそうな顔をしてる。
そう指摘されて、私はみっともなく泣き出してしまった。

もちろん、鬼灯様絡みだなんて理由は話せない。
ただ、辛い事があって…、と言葉を濁すと、白澤様はそれ以上深く詮索せずに、優しく慰めて下さった。
そして、笑顔が戻るようにと言って簪を買って着けてくれた。

「うん、似合うよ。とっても可愛い」

「有難うございます」

「何をしているんですか」

背筋がひやりとして心臓が凍りつくかと思った。
それぐらい冷たい声だった。

私達の後ろには鬼灯様が立っていた。

「…鬼灯様…」

「何をしているのかと聞いているんです」

「あの、」

「デートだよ。見て分からない?」

白澤様が私を自分の後ろに隠すようにして鬼灯様を睨んだ。
触れれば斬れそうな殺気を纏った鬼灯様が白澤様を睨み返す。
その目が、私の頭の簪に止まり、それから私へと向けられた。

「その白豚が買った物ですね」

それは質問ではなかった。
そうだよ、白澤様が答える。

「一人で桃源郷に向かったというから、何処に何をしに行ったのかと思えば…」

「ほ…鬼灯様だって、お香さんに買ってあげたじゃないですか!」

私はもう黙っていられなかった。
何故そんな責めるような目で見られなければならないのか。
鬼灯様が悪いのに。

──ううん、違う。
鬼灯様は悪くない。
悪いのは私だ。
馬鹿な私は、失恋のショックで八つ当たりしているだけだ。
そう思うと、止まっていた涙がまた溢れてきた。

「鬼灯様が…お香さんに……」

「わかりました」

鬼灯様は懐からお金を出すと、白澤様にべしっと投げつけた。

「簪の代金です。これは貰っていきますよ」

白澤様が何か文句を言っている。
でも、私は鬼灯様に腕を引かれてぐんぐん遠ざかっていったので、よく聴きとれなかった。

「馬鹿ですね、貴女は」

揺れる簪に目をやって鬼灯様が呆れたように小さくため息をつく。

「嫉妬するぐらいなら、最初から私に言ってきなさい。簪ぐらい幾らでも買ってあげます」

心配するじゃないですか。

鬼灯様が仰ることがよくわからない。
何を心配したというのだろう。

「こんな事なら、我慢などせずにもっと分かりやすく接するべきでした」

鬼灯様がぶつぶつと文句を言っている。
たぶん私に対するものなのだろうけど。

「鬼灯様?」

「いいから来なさい。仕切り直しです」

鬼灯様は地獄のぽっくりデパートに入って行った。

「着物でも帯留めでも、好きな物を買ってあげますから選びなさい」

馬鹿な私はまだ今の状況が飲み込めていなかった。
どういうことなんですか、鬼灯様?


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