「無邪気な笑顔で猫を被っている彼とは、その後どうですか」 沖矢さんに借りていた本を返しに来たら、開口一番そんなことを聞かれた。 言っておくが、私はそんな言い方をしたことは一度もない。 笑顔が似合うけれど、何か秘密を抱えている人、と言っただけだ。 「もしかして安室さんのことですか?」 いささかムッとしながら聞き返せば、穏やかな笑みで流される。 シャーロック・ホームズが好きだというだけあって、一筋縄ではいかない人だ。 「そう、安室透くん。どうです、少しは進展しましたか?」 「お陰様で」 沖矢さんに借りていたのはシャーロック・ホームズの本だったのだが、安室さんとは推理小説の話題で盛り上がることが出来た。 推理小説を題材にして話すことで改めて思ったのだが、安室さんは絶対毛利探偵より高い能力を持っていると思うんだけどなあ。 どうしてわざわざ授業料を払ってまで弟子入りしているんだろう。 安室さんのことを知ろうとして、ますます謎が増えた感じだ。 「何だか納得いかないって顔をしていますね」 「そうですか?」 「彼に近づいたと思ったら、ますます謎が増えた、といったところでしょうか」 「…沖矢さんは意地悪です」 「何故だか君を見ていると、ついいじめたくなってしまうんですよ」 お茶の用意をしてきます、と言われたので、じゃあその間に本を棚に戻しておきますと言って書斎に向かった。 新一くんがいた頃はよく遊びに来ていたから勝手知ったるなんとやらである。 私はこの家の書斎が好きだった。 天井まで届く壁一面の棚にびっしりと並べられた書籍の数々は不思議な魅力に満ちていて、ここで育った新一くんはそれは賢い子に育つはずだと納得したものだ。 沖矢さんはここをどんな風に使っているのだろう。 院生だから、良い研究材料に……ならないか。 そういえば、沖矢さんが何の研究をしているかも知らない。 週に二回ほど大学に行く以外は家にこもりっきりらしいけど、大丈夫なんだろうか。 「何を考えているんですか?」 「っ!?」 急に声をかけられて振り返ると、沖矢さんの顔がすぐ近くにあった。 私の顔の横に手をつき、屈み込むようにして覗きこんでくる。 「近い、です」 反射的に手で沖矢さんの肩を押して距離をとろうとした私は悪くないはずだ。 すると、沖矢さんは私の手首を掴んで本棚に押し付けた。 後ろには本棚があり、これ以上は退がれない。 「そんなに彼のことが好きですか、なまえさん」 「あの…」 「少々妬けますね」 「えっ」 「安室くんと先に出会わなければ、僕のことを意識してくれましたか?」 「どういう、」 「もちろん、男として、という意味ですよ」 どうしてこんなことをするのか意図が掴めなくて困惑する私に、沖矢さんの顔が近づいてくる。 咄嗟に顔を背けた私の頬を、柔らかな感触がかすめた。 「沖矢さんっ」 「すみません、いじめすぎましたね」 耳元でフッと笑う気配。 手首を掴んでいた手が離され、沖矢さんは身体を離した。 「ただの嫉妬です。忘れて下さい」 お茶の用意出来てますよ。 何事もなかったかのような笑顔でそう言って、沖矢さんは書斎を出て行った。 彼がいなくなった途端、私は背中を本棚に預けたまま、ずるずるとその場に座り込んでしまった。 胸があり得ないほどドキドキしている。 沖矢さんがリビングで待っている。 けれども、私はしばらくそこから動けずにいた。 こんなの嘘、うそ。 助けて安室さん。 |