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今日に限って近道なんてするんじゃなかった。
そうすれば、怪しい男達の取り引き現場を目撃してしまうこともなかったのに。

可能な限り早く走るその足下で、パンプスのヒールがコンクリートで舗装された地面を叩く甲高い音がやけに大きく響いて聞こえる。

背後から追いかけてくる気配は次第に距離を詰めつつあった。
向こうは男二人。
程無くして追い付かれてしまうだろう。

その前にこの路地裏から出られれば──

「こっちだ!」

路地裏を抜け、明るい光が見えたと思った途端、見知らぬ男に手を掴まれ引き寄せられた。
ミルクティー色の髪に、ミルクチョコレート色の肌。青空を映し込んだような瞳。
夜目にもはっきりとそれとわかる眉目秀麗な男性が、私の手を引いて近くに停めてあった白い車の助手席に私を押し込んだ。

「あのっ」

「事情はわかっている。偶然あの取り引き現場を目撃してしまったのだろう?僕は君の味方だ。安全な場所まで連れて行く」

そう手短に説明すると、彼は素早く車を発進させた。

「あなたは誰なんですか。どうして私を?」

「僕は降谷零。公安の人間だ。事前の情報から今日あの場で取り引きが行われることはわかっていた。君の存在はイレギュラーだったが」

彼の言葉を信じるのならば、私は警察関係者に保護されたということになる。
これでもう安心かと思いきや、事態はそれほど甘くはなかった。

「チッ……やはり追って来たか」

「!」

「しっかり掴まっていてくれ。振り切る」

ガッとシフトレバーを押した降谷さんに呼応するようにエンジンが唸りを上げる。

スピードを増していく車内から後ろを振り返れば、真っ黒な車が後を追って来ているのが見えた。

夜の混み始めた道路を、降谷さんは右に左にハンドルを切りながら巧みに他の車を避けて進んで行く。

と、いきなり降谷さんが大きくハンドルを切った。
シートベルトが身体に食い込んで思わず悲鳴をあげる。

「そうだ。怖ければ声を出すといい」

そのほうが楽になるからと、降谷さんは笑った。
こんなカーチェイスを繰り広げているのに、まるでドライブでも楽しんでいるような余裕がある。
そんな降谷さんを見て、私も少し落ち着いた。

チュインと音がしてタイヤのすぐ側を何かが掠めた。
銃弾だ。
追跡者達が私達に向けて発砲したのだ。
わかった瞬間ゾッとして鳥肌が立った。

「ふ、降谷さんっ」

「大丈夫だ。問題ない」

降谷さんは冷静そのものだった。
先ほどまでと同じく、左右にハンドルを切って銃弾をかわしていく。

前方にトンネルが見えた。
その入口には渋滞している車の列が。

「ちょっと揺れるが我慢してくれ」

言うなり、降谷さんは左に大きくハンドルを切った。

「えっ、えっ、きゃああ!」

信じられないことに、車はトンネルの壁を走っていた。
車体は完全に横になっていて、壁と他の車の間をすり抜けていく。
凄いドライビングテクニックだ。

さすがにこれは真似出来なかったらしく、追跡者の黒い車は渋滞している車の列に塞き止められていた。

「もう心配いらないだろう」

トンネルを出て脇道に入った車の中で、降谷さんが言った。

「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」

ここにきてようやく張りつめていた糸が切れたように、涙が出てきた。
降谷さんが少し困ったように微笑み、優しい手つきで私の頭を撫でてくれる。

「酷いドライブになってしまったお詫びがしたい。ディナーに誘っても構わないかな」

「はい、喜んで」

これっきりの関係で終わってしまうのが惜しくて、私は一も二もなく頷いた。
同一の危機的状況を乗り越えたことで、私達の間には不思議な連帯感が生まれていた。

「その前に君の名前を教えて欲しい。聞きそびれてしまっていたから」

少しはにかむように笑って尋ねてきた降谷さんに、私も笑顔を返す。

「私の名前は────」


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