お腹に巻き付いている腕と、背中に触れている場所から伝わる体温。 微かに聞こえてくる穏やかな寝息。 未だにこれが現実だと信じられないでいる。 毎朝目が覚めるたび、まるで夢の続きを見ているような気分になるのは、この人がそれはもう女子高生から老婦人にまでモテまくる素敵な男性だからだ。 私自身は彼のファンの女の子達とそう変わらない。 これと言って飛び抜けた才能があるわけでもない普通の人間である。 ただひとつ、彼女達が知らない彼の秘密を私は知っている。 彼の本当の名前。 彼の本当の職業。 誰よりもこの国と国民を愛し、文字通り身体を張ってそれらを守るために日夜戦っている彼は、いまばかりは優しい眠りの中にいる。 「君の側だと、熟睡出来るんだ」 少し照れくさそうに打ち明けてくれた彼のその言葉が忘れられない。 今でも失った友人達の夢を見ることがあるのだと知っているから。 彼がぐっすり眠っているのを確認して、そっと腕の中から抜け出す。 彼が目覚める前に私にはやるべきことがあるのだ。 寝室のドアを閉めて隣の部屋に行くと、すぐに耳をぴくっとさせた彼の愛犬が尻尾を振って出迎えてくれた。 「おはよう、ハロ。すぐご飯にするからね」 ハッハッと嬉しそうな顔をするハロは賢い犬なので、ご主人様である彼が起きて来るまで吠えることはしない。 お利口さん、と撫でてあげてからハロの餌を用意する。 様々な種類がある中から彼が栄養バランスを考えて買って来たドッグフードを餌皿に入れてハロの前に置いてやると、がつがつと元気よく食べ始めた。 それを確認してからまたキッチンに戻り、お急ぎモードでご飯を炊く。 その間に魚をグリルで焼き、付け合わせの品を幾つかと、彼が好きだと言ってくれただし巻き玉子焼きを焼いておいた。 ケトルを火にかけたところで、寝室のドアが開く。 「おはよう、なまえ」 「おはようございます、零さん」 ハロが嬉しそうに「アン!」と鳴く。 零さんがハロを構ってあげている間にちょうどよくお湯が沸いた。 そのお湯でコーヒーを淹れ、マグカップに注いで零さんに渡す。 「ありがとう」 受け取った零さんは片手でマグカップを口に運びながら、もう片方の手で何やらスマホを操作している。 今日の予定の確認だろうか。 「先にシャワー浴びますよね」 「ああ、さっぱりして来る」 バスルームに向かった零さんをハロが追いかけて行き、閉まったドアの前でお座りして尻尾をぱたぱたさせている。 本当によく懐いているなあと微笑ましく思った。 それほど時間はかからずに零さんはバスルームから出てきた。 洗面所で歯みがきをしている足元にハロがまとわりついている。 私は出来上がった料理をお皿に盛り付けてテーブルの上に並べた。 今日の飲み物はよく冷えた麦茶にしよう。 「ご飯出来ましたよ」 零さんと一緒にテーブルにつき、手を合わせて 「いただきます」 「いただきます」 喉が渇いたのか、ハロは水を飲んでいる。 零さんは、はふはふもぐもぐと良い食べっぷりで次々と料理を平らげていった。 「ごちそうさま。美味しかったよ」 「いえいえ、お粗末様でした」 今日は朝から本庁らしく、零さんはスーツを着ている。 ポアロでのカジュアルな服装もいいけれど、やっぱりスーツをぴしりと着こなしている姿が一番かっこいい。 男性ならではの色気があるというか、戦う男という感じがしてセクシーだと思う。 「じゃあ行って来るよ。ハロをよろしく」 「はい、行ってらっしゃい」 ハロを抱っこしてお見送りをする私にキスをして、零さんは輝くような素敵な笑顔を見せてから出掛けていった。 さて、残された私達はというと、 「ハロ、お散歩行こうか」 「アン!」 自らリードを咥えて持って来たハロの頭を撫でてやり、リードを取り付ける。 「よし、行こう」 「アン!」 合鍵で戸締まりをしてから、私達は仲良く散歩に出掛けた。 こうして、私達の一日は始まるのだった。 |