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いまポアロでカフェラテを頼むと、もれなく安室さんのラテアートがついてくる。

そういうわけで、今日もポアロは女性客で埋め尽くされていた。
休む間もなくラテアートを施す安室さんは相当忙しいはずなのに、少しも疲労の色など見せず、愛想よく対応している。
接客業の鑑のような人だ。

めでたく常連客の仲間入りをした私のもとにメールが来たのは昨夜のことだった。
『ラテアートのサービスを始めたので是非ご来店下さい』という内容に、一も二もなく飛び付いたのだが、正直この盛況ぶりは想像を遥かに越えていた。

「なまえさんはカフェラテご注文されないんですか?」

梓さんにそう尋ねられたけれど、さすがにこの状況では頼み難い。

「安室さん、忙しそうですし…」

「すみません、なまえさん。お待たせしました」

「えっ」

「ご注文のカフェラテです」

先ほどまで“あむぴ”呼びする女子高生に捕まっていたはずの安室さんが、爽やかな笑顔を浮かべて私の前にカフェラテのカップを置いて言った。

「でも、私」

「僕のメールを見て来て下さったんですよね。ご来店をお待ちしていました」

見れば、カップの表面にはハートマークのラテアートが施されていた。
慌てて見える範囲の他の人のカップを確かめると、クマさんやウサギさんなどの模様で、ハートマークのものは一つもない。

もしかして、私だけ?

改めて安室さんの顔を見ると、彼は人差し指を口元に当てて、悪戯っぽく片目を瞑って見せた。

「あ、ありがとうございます」

誰にも見つからない内にと、急いでカップに口をつけて飲むと、濃厚なミルクとコーヒーが絶妙に絡み合った独特の甘さが口の中に広がっていく。

「楽しんで頂けましたか?僕のラテアート」

「はい、とっても」

「実はあと一時間で今日のシフトは終わりなんです」

相変わらず読めない笑顔で安室さんが続ける。

「なまえさんさえよろしければ、このあと少し付き合って頂けませんか」

疑問形じゃなく確認ですよね、それ。
もちろん私にイエス以外の返事は許されていなかった。


「どこへ行くんですか?」

「それは着いてからのお楽しみということで」

初めて乗った安室さんの車の助手席は、いかにもスポーツカーといった感じだが、座り心地は良く、安室さんのドライブテクと合わさって、うっかりすると眠気に襲われてしまいそうなほど快適だった。
そうならずに済んでいるのは、安室さんとの初めてのデートらしきものということで緊張しているからだ。

夕暮れの街並みを走っていく安室さんの愛車の中で、私は幾度となく自問自答を繰り返していた。

これはデートなんですか?

そんな問いかけをしたくとも、否定されるのが怖くて言い出せない。

「着きましたよ」

安室さんが車を入れたのは、都内でも有名なホテルの地下駐車場だった。

「これからここでイベントがあるんです」

私の疑問を見透かしたように安室さんが説明してくれる。

「そのために、ちょっと準備が必要なんですが、構いませんよね?」

「ハイ」

もちろん、答えはイエスだ。それ以外にない。

安室さんにエスコートされてエレベーターでフロントへ行くと、女性スタッフがにこやかに出迎えてくれた。

「支度の手伝いをお願いします」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

「あ、はい」

「それでは、なまえさん。またあとで」

どうやら安室さんとはここで一旦お別れらしい。
女性スタッフに案内されたのは和室だった。

「お連れ様からこちらをお召しになるよう承っております」

そうして着替えさせられたのは、いかにも高級そうな柄の浴衣で、思わず顔がひきつってしまった。
これは汚したら大変なことになりそうだ。

「綺麗ですよ。とても良く似合っています」

「あ…ありがとうございます」

合流した安室さんに褒め殺されて、再びエレベーターへ。

「写真を撮っても?」

「だ、だめです。安室さんだって写真撮られるの嫌いじゃないですか」

「残念。では、せっかくなのでしっかり目に焼き付けておきますね」

「そんなにじっと見られたら恥ずかしいです…」

「なまえさんが意地悪を言うからいけないんですよ」

そうする内にエレベーターの扉が開き、安室さんに手を取られて外に出る。
そこはホテルの屋上だった。
“納涼祭”と書かれた横断幕があり、提灯が幾つも吊るされている。

「間に合って良かった。ほら、始まりますよ」

安室さんがそう言って空を指差した瞬間、最初の花火が打ち上げられた。
続けて、赤とオレンジの花が夜空に咲く。

「わぁ…綺麗!」

「これをなまえさんに見せたかったんです」

花火に照らされた安室さんの横顔が何故か儚げに見えて、私は繋がれたままだった手に少し力をこめて握り返した。

そうしないと、消えてしまいそうな気がして。

「安室さん、どこにも行かないで下さいね」

「どうしたんですか、急に」

安室さんはおかしそうに笑っている。

「僕は大抵いつもポアロにいますよ。それに、連絡先は渡してあるでしょう?会いたい時はいつでも連絡して下さい」

「安室さん…」

どうしてかはわからないが、はぐらかされたことだけはわかった。
安室さんはいつかどこかに行ってしまうのではないかと、そんな予感が胸をざわつかせる。

打ち上げられた花火が美しく咲いたあと、儚く消えて、あとには真っ暗な夜空だけが広がっているように。
いつの日か、“安室透”という人が消え去ってしまうのではないか。

そんな予感に怯えて、すぐ隣にあるぬくもりを求めて私は安室さんに身を寄せた。


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