「いらっしゃいませ」 モーニングの時間帯であることを確認してポアロを訪れると、柔らかい声に迎えられた。 梓さんではない。安室さんだ。 私を出迎えた彼の表情に変化は見られなかったが、ほんの一瞬、『本当の彼』が顔を覗かせた気がして思わず頬が緩んでしまった。 私は安室透こと降谷零に狙われている。 と言っても、恋愛的な意味ではなく、要注意人物として監視されているのだ。 私がこの世界の人間ではないせいで。 俗に言うトリップというものを体験したのは三ヶ月前のこと。 ある日突然コナンの世界に放り出された女としては、割りと冷静に対応出来たほうだと思う。 まずは働き口を探した。 非常に心が痛んだが、偽の履歴(現実世界においては正真正銘正しい履歴なのだが)をでっち上げて履歴書を書き、比較的審査が緩そうな業界に勤め先を見つけることが出来た。 それからは普通の転職と同じだ。 まずはお金を稼ぐことと仕事に慣れることを目標に、毎日真面目に仕事に打ち込んだ。 そうして、ようやくこの世界での生活に慣れて来た頃、私は待ちに待った安室さんとの邂逅を果たしたのである。 にこにこしながら接客を受ける私は、その辺の普通のOLと変わらないはずだった。 しかし、そこはさすが安室さんというべきか、何か妙なものを嗅ぎ付けたのだろう。 さりげなく探りを入れて来たので、笑ってしまわないように我慢するのが大変だった。 恐らく、その後彼は私の経歴が偽物であることを調べ、戸籍がないことにも気がついたのだろう。風見さんに尾行されたこともある。 二度目に来店した私を、安室さんは明らかに警戒していた。 「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、降谷さん」 ひそひそ話をするようにそう囁いた時の安室さんの顔といったら。 貴様は何者だと言わんばかりに私を見下ろす安室さんの目は、完全に『公安の降谷零』のそれだった。 それから私は安室さんの反応を楽しむために、足しげくポアロに通っている。 他の客に混ざってメニューを注文し、コーヒーを飲みながら安室さんの一挙手一投足を観察しては彼の反応を楽しむ毎日だ。 こんなに楽しいことはない。 「おはようございます、なまえさん。またいらしてくれたんですね、嬉しいです。こちらのお席にどうぞ」 「ありがとうございます」 「今朝もいつものメニューでよろしいですか?」 「ええ、お願いします」 去り際に、ちら、と青い瞳にチェックされるのも、もう慣れたものである。 モーニングを用意する眉目秀麗な容姿を堪能しつつ待っていると、すぐに注文した品が運ばれて来た。 「お待たせしました。モーニングセットです」 「ありがとうございます。零さ、安室さん」 「どういたしまして。ごゆっくりどうぞ」 さすがトリプルフェイス。微塵も笑顔が揺るがない。 けれども、いま彼の優秀な頭脳はフル回転して、私の正体について考えを巡らせていることだろう。 しかし、決して私が本当は誰であるか判明する日は来ないのだ。 何故なら私はトリップしてきた別の世界の人間だから。 いくら公安でもその真実には辿り着けないはずである。 ──かわいそうな安室さん 今日も私は美味しいコーヒーを飲みながら、私のことが気になって仕方がない様子の安室さんの姿を眺めては密かに悦に浸るのだった。 |