1/1 


「七海、寝ているのか?」

呼びかけに導かれるように瞼を開く。
夢の中から出てくるのに少し時間がかかってしまったが、隣に赤司くんがいることを思い出すと、慌てて笑顔を作った。

「う、ううん。目を瞑ってただけ」

そうは言ったものの、寝てたことはバレバレだろう。
彼の目を誤魔化せるはずがない。

「起こしてすまない。いいんだよ、寝ていても」

「ううん、私のほうこそ赤司くんに運転させておいて…山の中でラジオも入らないし…ごめんね。つまらないよね」

「構わないよ。言っただろう、車の運転は嫌いじゃないんだ」

行きも帰りも、交代で運転することを申し出たのだが、赤司くんは自分が運転すると言って譲らなかったのだ。

何か話題を作ったほうが良いだろうかと考えた時、窓の外の小さな花に気がついた。

「ねえ、赤司くん」

「なんだい?」

「あの花、なんていう花かな?さっきからずっと咲いているけど…」

道の脇に黄色い花がてんてんと続いて咲いているのが見えたので、それを伝える。
細長い茎に、楕円形の葉。
風でゆらゆらと首を振るように揺れている。

「ああ、あれか。あれは弟切草だよ。弟に切ると書いて、弟切草」

「弟切草?」

「ああ。あの楕円形の葉を光にすかすと、黒い点々がいくつも見える。それは…弟の怨みの血なのさ」

赤司くんが語った弟切草の逸話はこうだ。
平安の昔、ある鷹匠の兄弟がいた。
その家には代々鷹の傷を治す秘薬が伝えられていたのだが、何故かその秘伝が世間に広まってしまった。
弟が自分の恋人に教えたせいだと知った兄は怒り狂い、刀で弟の首を……。

「その血しぶきが葉にかかった。それからあの花は弟切草と呼ばれるようになったらしい」

「そんなことが…」

「ただの言い伝えだよ」

赤司くんは笑ったけど、いつの間にか降り出していた雨を受けて、周囲の弟切草が一斉に頷いたように見えた。

「ねえ、赤司くん、道は大丈夫?来た時と随分景色が違う気がするんだけど…」

「これで合っているはずだよ。一本道だ。間違えるはずがない」

赤司くんはワイパーのスイッチを入れた。
外はもうすっかり暗くなっている。
細い山道には街灯もなく、この道の先がどういう風に曲がっているのかさえ分かりにくい。
ヘッドライトをつけると、カーブを知らせる標識が浮び上がった。
前を見ると、坂を下った所に右曲りの急なカーブがあった。

「あれ?」

カーブを過ぎた途端、車のスピードが落ちた。
急にガクッときたのではなく、徐々に緩やかになっていき、そして車は完全に止まってしまった。

「赤司くん?」

「妙だな…故障か?」

車を降りて確認するが、特に目立った異常は見つからない。
故障箇所が分からない以上、直しようがなかった。
電話も圏外で繋がらない。

「赤司くん、あれ」

私は木々の合間にぽつんと置かれた郵便受けを指差した。

「この近くに家があるってことだよね」

「ああ。事情を説明して電話を貸して貰おう」

赤司くんに差しかけていた傘を彼が手に取り、二人くっついて一緒に差しながら細い道を辿っていく。
森の奥へ懐中電灯の光を向けると、細い道の脇にはまるで私達を誘うかのようにずっと弟切草の黄色い花が続いていた。

「なんだか怖いね…」

「僕がいるのに?」

赤司くんが言って私の肩を抱いた。

「大丈夫だ。何も心配いらないよ」

その時だった。

「赤司くん!」

前方を指差す。
そこに佇む、洋館を。
私にはその館が闇の中から突然現れたように見えた。

「どうする…?」

「行くしかないな」

赤司くんが私の肩を抱いたまま館に向かって歩いていく。

足元には一面の弟切草。

この時の私達はまだ知らなかった。

この館の中で起こる恐ろしい現象の数々と、そこで待ち受ける運命を──。


  戻る  
1/1

- ナノ -