その日、天音は久しぶりに学生時代の友人と会って来た帰りだった。 白いマキシ丈のワンピースの上に同色のカーディガンを合わせて。 こんな格好が出来るのも、“都会”へ遠出したからである。 この辺りでは流行りの服を着て歩くほうがかえって目立つだろう。 それでなくとも、マキシ丈の白いワンピースは闇の中で目立つ。 これからは徐々に肌寒くなっていくはずだ。 だから今年はこれでもう最後、着納めになるだろう。 このあたりは若者より圧倒的にお年寄りが多い地域だ。 ご近所さんともなれば、生まれる前から家同士の付き合いのある者ばかり。 ただ、お年寄りの夜は早いため、今の時間には皆とっくに布団の中だろう。 現にここまで来る途中、誰にも会わなかった。 今起きているのは、たぶん近所の老医師の良蔵くらいのものだ。 「あれ?」 自宅までもうすぐという所まで来た時、天音は異変に気付いた。 家の裏山にある神社が光っている。 それは昏い紫色の光で、何度か明滅してからふっと消えてしまった。 「なんだろう…」 妙に胸がざわめく。 恐怖もなくはなかったが、それ以上に何故か早く行かなければならないという気がした。 急いで神社に向かって駆け出す。 裏山のふもとまで来ると、神社の境内に続く長い石段を一気に駆け上がった。 月光を背に鳥居をくぐろうとした天音の足が止まる。 月明かりに照らされた境内に男が一人片膝をついていた。 片手で口を覆い、苦しそうに肩で息をしている。 脇腹にも裂傷が見受けられた。 「大丈夫ですか?」 何か言おうとした男が激しく咳き込む。 手袋を濡らした血は鮮やかな赤。 それは、喀血、つまり肺か気管からの出血であることを示していた。 結核か何かの肺の病だ。 天音は肩に掛けていたバッグの中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。 封を切り、男に差し出す。 「口に含んだら、飲まずに口の中を濯いで血ごと吐き出して下さい」 言いながら男の背中をさする。 男が言われた通りにしたのを見て、ほっと息をつく。 喉に血を詰まらせて窒息する危機は防げた。 あれだけ酷い発作を起こした直後に移動するのは難しいかもしれないが、このまま屋外にいて身体を冷やすのも良くないはずだ。 「立てますか?」 天音は男の身体を支えながら尋ねた。 「辛いと思いますが、もし動けそうなら私がこのまま支えていますから移動しましょう。すぐ近くに私の家があるので、そこまで少しだけ我慢して下さい」 「…ああ、すまない…」 男はほんの数瞬躊躇った様子だったが、天音の提案に従うのが現状では最善だと考えたのだろう、力を振り絞って何とか立ち上がった。 男の状態を考えれば本来ならばすぐにでも救急車を呼ぶべきなのだろうが、天音の頭にその選択肢は無かった。 どう見ても彼は訳有りだ。 とにかく、この寂しい場所から一刻も早く明るい所へ連れ出さなければならない気がしていた。 剣を鞘に納めた男をしっかりと支え直し、その重みに気を引き締めつつ歩き出す。 男の体調を気遣ってゆっくりと、しかし、可能な限り急いで。 「そこから下に降りる階段になっています。足元に気をつけて下さい」 半ば背に背負うようにして男の身体を支えると、慎重に、だが可能な限り急いで石段を降り始めた。 下へと続く石段がこれほど長く感じられたことはなかった。 男は殆ど意識を失いかけているらしく、ともすれば倒れ込みそうになるその身体を天音は必死に支えて石段を降りていった。 左下方に自宅の明かりが見える。 少し視線をあげれば星の海のような夜景を遠くに眺められるはずだが、今の天音には男の身体の重みと体温、耳の近くで聞こえる苦しげな息遣いだけが全てだった。 夜風に吹かれた白銀の髪が柔らかく揺れて天音の頬をくすぐる。 何故そう思ったのかは分からない。 ただ、この人を絶対に死なせてはならないと感じていた。 |