五月。
まだ時折朝晩に冷え込むことがあるものの、気持ちの良い陽気が続いていた。
桜はすっかり葉桜となってしまったが、その代わり、別の花が見頃となりつつある。

「綺麗に咲いたね」

天音が私室の前庭にある藤棚の手入れをしていると、半兵衛が顔を覗かせた。
すらりとした細身の肢体に、白の小袖に合わせた藍色の羽織姿が清々しい。

「でもまだ満開ではないようだ。もうニ三日先が見頃といったところかな」

「はい」

紫色の花房を見上げて言う半兵衛に天音も頷いた。

この花は半兵衛に似ている。
優美で艶のある美しさも、ほんの僅かな時間で満開の時を終えてしまう儚さも。

だからほんの少し不安になってしまった。

豊臣の世はまさしく今が隆盛期。
日ノ本の頂点に立った秀吉を支えて多忙な日々を過ごす半兵衛にとっても、今が一番充実感を感じている時期ではないだろうか。

そんな彼が花の盛りの頃を過ぎても儚く散ってしまわないように、出来る限りのことをして彼を支えようと天音は決意を新たにした。
そもそもこちらの世界で生きていこうと最初に考えた時の目的も、半兵衛に愛されたいなどとおこがましい事を望んだからではなく、少しでも彼の役に立ちたいと考えたためだった。

「君は本当に心配症だね」

半兵衛が藤と同じ色をした美しい瞳を細めて、くすりと笑う。

「全部顔に出ているよ」

「えっ」

思わずぱっと両手で頬を押さえると、半兵衛は肩を揺らして可笑しそうに笑った。
勿論、文字で「半兵衛さんが長生き出来ないんじゃないかと心配しています」なんて書いてあるはずがない。
この男が鋭いだけだ。

「心配しなくても、僕はきっと長生き出来るさ。何しろ過保護な奥方が甘やかしてくれているからね」

「そうですよ。過保護なくらいで丁度いいんです、半兵衛さんみたいな人には」

天音は開き直ることにした。

「半兵衛さんが秀吉様に尽くして、私が半兵衛さんに尽くす。それでいいじゃないですか」

「うん、そうだね」

「でも出来ればあまり無理はしないで下さいね」

「善処しよう」

半兵衛は涼しい顔で言いきったが、どうだか怪しいものだと天音は思った。

自分にしか出来ないと分かっているからこそ、半兵衛は命を削るようにして己の仕事に励んでいる。
生涯を懸けた夢を叶えた今、彼はとても幸せそうだった。
かつて病を抱えながらも秀吉のために最強の軍を作り上げようとしていた時のように、命を懸けて夢の続きを歩んでいる。
だから天音はそれ以上強く止めることが出来ない。

「今日も無理せず執務を早めに切り上げて帰って来たから、ご褒美をくれるかい?」

「勿論です。私に出来ることならなんでもします」

「何でも、ね…」

妖しく微笑んだ半兵衛に手を引かれ、庭から私室へ上がる。

その半刻後。

訪れた甲斐の忍が見たものは、この日ノ本で一番多忙な参謀が、妻の膝枕で耳かきをして貰いながら甘い眠りを堪能している姿だった。



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