天音と半兵衛がまだただの幼なじみだった最後の日。

その日の事を半兵衛は鮮明に記憶している。
恐らく生涯忘れることはないだろう。


その日、半兵衛は体調が優れなかった。
正確には前夜から、だが。
空気が乾燥し、寒暖の差が激しくなるこの時期は大抵いつもそうだ。
幼い頃から病気がちだった彼にとって、季節の変わり目は一番危険な時期であると言える。
今シーズンはまだ風邪をひいていなかったが、それも時間の問題だと思われた。

幼なじみの天音は、そんな彼の体調の変化に敏感だった。
その日も鋭く半兵衛の体調不良を察した彼女は、「少し過保護すぎやしないかい」と苦笑する半兵衛をベッドに押し込め、眠って身体を休めるように厳命した。
そして自らはその傍らに椅子を持ってきて座り、読書の準備をする。

少々辛かったのは確かなので、半兵衛は大人しく眠りについた。

暫くして微睡みから覚めると、天音は本を開いたままうたた寝をしていた。

ベッドの傍に置かれたスチームファン式の加湿器が、低く唸るような稼動音を立てながら蒸気を吐き出している。

「天音」

小さく呼びかけても、天音は目を覚まさない。
半兵衛の瞳に、少女の薄く開かれた花弁のような唇が映っていた。
淡い桜色をしたそれはとても柔らかそうで、どうにも目が離せなくなってしまう。

どくん、どくん、と巡る血潮の音さえ聞こえそうな静寂の中、半兵衛の胸のうちに、いっそ暴力的なまでに激しい想いがこみあげてくる。
その衝動に抗うには彼は若すぎた。

「天音」

もう一度囁いたのは、確認のため。
眠る少女の頬に手を添えて、そっと唇を重ねる。

彼女の唇の柔らかさと甘さを味わいながら、これまでの穏やかな関係が崩壊していく音を確かに聞いた気がした。


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