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障子の前に座し、男はただ深く頭を垂れて待っていた。

声をかける必要はない。
軍師であると同時に優れた武人でもある彼の主は、既にこちらの存在に気づいているからである。

暫くして、白い手が内側から音もなく障子を引き開けた時も、男は顔を伏せて畏まったまま夜更けの訪問の非礼を詫びる言葉を述べた。
報せるべき事柄を報告すれば、衣擦れの音と低く笑う声が降ってくる。
報せた内容にそぐわぬ艶めいたそれに、男は畏れを抱いた。

「そうか。そろそろ動く頃合いじゃないかと思っていたよ。慶次くんにも困ったものだ」

「まだ近くに手の者を潜ませておりますが」

「いや、足止めする必要はない。そのまま通してやりたまえ」

「は」

頭を垂れたまま答えて立ち去る刹那。
ちらと垣間見えた主人の美貌に浮かんだ笑みは、見慣れた豊臣の人間であっても戦慄を覚えずにはいられぬものだった。



庭先から気配が消え失せると、半兵衛は元通りに障子を閉め、隣の部屋へ入った。
その部屋の木戸もぴたりと閉じてしまえば、また閉じられた世界が作られる。

外の世界から隔絶されたその薄暗い寝所の中には、もう一人の人間がいた。

闇の中で輝くような白い裸身の上に、上からしどけなく純白の羽織りを掛けられただけの姿。
熱く乱れた呼気が薄闇を揺らしている。
横向きに寝ている天音の豊かな白い双球や上半身は半兵衛の羽織りで隠されていたが、露になっている白桃のような丸い尻の間からは、先ほどまでの情交の名残がまだとろりと滴り落ちていた。

その傍らに座した半兵衛が囁きかける。

「気分はどうだい?」

「……頭がふらふらします」

「だろうね」

半兵衛は涼しい顔で頷いた。

「薬効が完全に抜けるまでもう半刻ほどかかるはずだ。大人しく寝ていたまえ」

室内には仄かに甘い香りが漂っている。
一刻ばかり前に香炉から立ちのぼっていたそれは練り香のものだ。
清廉でありながらも底に官能的な甘さを秘めた甘い香り。
今は既に燃え尽きて残り香となっていたが、それでもまだその効力は続いていて、天音の身体を蝕んでいた。

そのせいかもしれない。
半兵衛が他国に派遣していた間者の報告を聞きにいっていた僅かな間に、彼女は幻のような夢を見ていた。

どこか、こことは違う場所。違う世界。

その夢の中でもやはり半兵衛に半ば強引に事を進められてしまい、似たような会話を交わしていたような気がする。

「…もうお嫁にいけません…」

横向きから仰向けになった天音は、両腕を顔の上で交差させるようにして顔を覆い隠しながら弱々しい声で嘆いた。
その呟きを聞きつけた半兵衛が低く笑う。

「僕が貰うから問題ないよ」

柔らかく艶めいていて甘い声。
だが、それは底にゾッとするような冷たさを孕んだ甘さだ。

「しかし、おかしな事を言うね」

声音と同じくらい柔らかい唇を女へ与えながら、面白い、とその眼が言っていた。

「君は初めから僕のものだというのに」



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