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「ここ、いいかな?」

「えっ……あ、ど、どうぞ…」

この時間、カフェテリアの中はそれほど混んでいない。
仲が良い友人同士ならならともかく、他に空いているテーブルが幾つもある状態で相席する必要はないはずだ。
それなのに、不二さんは真っ直ぐ私のテーブルまで来て私に相席を求めた。

内心、うわーーな心境ではあったものの、上級生に逆らえるはずがない。
それに、この人の恨みを買うのは得策じゃないという気がしてならなかった。
何となく。

「神話、好きなのかい?」

不二さんは私がテーブルに置いていたギリシャ神話の本を指差して尋ねた。
ずっとテニスをやってるらしいのに、長くて綺麗な指だ。
しなやか、っていうんだろうか。
不二さんの指は流れるように動く。

「いえ、特別好きというわけじゃ…今度のゼミで題材にされるんで、予習しておこうかなと」

「なるほどね」

不二さんはコーヒーを飲みながら、片手で神話の本をぱらぱらと捲った。
凄く絵になる。

不二さんはコーヒーを置いて頬杖をついた。

「“驚くエウロパに、『私はゼウスだ。大人しく言う事を聞け』と言ってクレタ島に連れていった”」

「…それ、普通に淫行目的の誘拐ですよね」

「そうだね」

神話の一節を読み上げた不二さんがクスッと笑う。

「エウロパが降り立ったその地を、彼女の名にちなんでヨーロッパと呼びはじめたのがヨーロッパの始まり」

「えー…」

「そこはほら、神話だから」

そういうものなんだよと不二さんは笑った。

「この神話をモチーフに描かれた絵のタイトルがそのものズバリ『エウロパの誘拐』だったりするからね」

「直球だなぁ…」

「挿絵とかはそれほどでもないけど、昔の絵画や彫刻には結構凄いものが多かったらしいよ。あまり露骨な物は燃やされたり壊されたりして今では殆ど残ってないけど」

「そうなんですか…」

「勿体無いと思わない?きっとそういう物のほうが、制作者の情熱や想い、神々や人間同士の生々しい感情や欲望を強く感じとれたと思うんだ。感情と感情のせめぎあい、みたいなものが。見てみたかったな」

あんまりそういったドロドロしたものとは無縁そうに見えるのに、生々しい感情と感情のぶつかりあいがお好みなんだろうか。
もしかすると不二さんを巡って修羅場が繰り広げられたりもしたのかもしれない。

「ボクもそうだからかもしれないね」

「えっと、つまり人間の感情は複雑だってことですよね?それに興味があるということですか?」

「半分正解で半分ちょっと違うかな」

不二さんが眉を下げた。
「うーん…わかりにくかったかな…」なんて唸っている。
どうでもいいけど隣のテーブルの女の子がさっきから不二さんをガン見してるんだけど。
本人気付いてるのかな。

「簡単に言うと、キミに興味があるっていうこと。ボク、好きな子はからかいたくなる性格みたいだから」

「え、あ、う、ええっ!?」

「ついでに言うと、逃げられると追いかけたくなるんだ。だから逃げても無駄だよ。余計に燃えさせるだけだから」

不二さんと出逢って以来、初めて開かれた彼の瞳を正面から見てしまった私は、何故かメデューサの神話を思い出したのだった。



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