もう秋の虫が鳴いている。

八月が終わり、九月に入ろうとしているのだから当然かもしれない。
繁忙期のピークは過ぎたらしく、ここへきて呪霊の活動は緩やかになりつつあった。
そんな時に飛び来んで来た花火大会のお知らせ。
本当は皆で行きたかったけど、残念ながら傑くんと硝子ちゃんは遠方の任務に行っていてまだ帰って来ていない。
私も諦めようとしたのだが、悟くんに半ば強引に一緒に行くことを決められて、いまは悟くんが実家から呼んでくれたお手伝いさんに浴衣を着付けられているところだった。

「苦しくありませんか」

「大丈夫です」

あの五条家で悟くんの身の回りのお世話をしていた人だというから、いかにも良家に仕えていますといった感じの厳しそうな人を想像していたら、全然そんなことはなかった。

「悟お坊ちゃまにこんな可愛らしい方がいらしたなんて」

と、私に引き逢わされるなりそう言って相好を崩したのは、見るからに優しそうなおばさまだった。
言われた悟くんは何故か誇らしげな顔をしていたけど、そのやり取りだけで悟くんがこの人をどれだけ信頼しているのか良くわかった。
お陰で誤解を解く機会を逃してしまったため、私は悟くんの恋人だと思われてしまっている。

「悟お坊ちゃまはあの通りの方ですから、ご苦労なさっておいででしょう」

「いえ、悟くんにはいつも優しくしてもらっています」

「まあまあ、あのお坊ちゃまが」

嬉しそうににこにこされるものだから、違うんですとはどうにも言い出せずにいた。

「この浴衣も悟お坊ちゃまが御自身で選ばれたものなんですよ。本当に愛されていらっしゃるのですね」

「いえ、その……」

「さあ、出来ました。よくお似合いですよ」

そうするうちに着付けが終わり、まるでそれを見計らったかのごとく丁度良いタイミングでドアがノックされた。

「支度出来た?」

「うん。いま開けるね」

ドアを開けると、悟くんは私を上から下まで見てから満足そうに笑った。

「上出来。早く行こうぜ」

「ちょっと待って。あの、色々とありがとうございました」

「いいえ、気を付けて行ってらっしゃいませ」

お礼を言った私におばさまがにこにこと笑顔を返してくれる。
こうして私は悟くんと一緒に花火大会に出掛けたのだった。

帰りは電車が無くなってしまっているため、補助監督さんのご好意で車で送迎して貰えることになっている。

「その浴衣気に入った?俺が選んだやつ」

「うん、ありがとう悟くん」

「傑に見せつけてやれないのが残念だな。いや、独り占め出来るって考えりゃいいのか」

めちゃくちゃ機嫌がいい悟くんと一緒に車で会場まで送ってもらった私は、降りた途端吹き付けてきた熱気に驚いた。
もう夜風はだいぶ涼しくなってきているのだが、人々の熱気でここまで体感温度が変わってくるものなんだなと感心する。
花火大会の会場には縁日のように屋台が並んでいて、沢山の人々が行き交っていた。

「はぐれると危ねえから」

そう言って悟くんが私の手を握る。
例えはぐれてしまっても、この人混みの中でも頭ひとつ分飛び抜けている悟くんを目印に探せばすぐ合流出来そうだ。

「何食べる?」

悟くんが屋台を眺めながら言った。

「えっと、じゃあ、焼きそば」

「焼きそばな。じゃ、買って食おうぜ」

悟くんと二人で焼きそばの屋台へ行き、二人分買ってベンチに並んで座った。

「こういうとこで食う焼きそばって、妙に美味く感じるよな」

「だよね。凄く美味しい」

「あ、ソースついてる」

「えっ、どこ?」

「ここ」

悟くんが私の唇の端をぺろっと舐める。

「うん、美味い」

ぷるぷる震える私に向かってニッと笑い、悟くんは舌を出してみせた。

「ごちそうさん」

「悟くん!」

その時、最初の花火が上がった。
色は青。悟くんの目と同じ鮮やかな青に、そこかしこから歓声があがる。

赤やオレンジの花火が次々と打ち上げられ、私は夜空に咲いた大輪の花のようなそれらにすっかり見入ってしまっていた。

「綺麗だね、悟くん」

悟くんのほうを見ると、彼は花火ではなく私を見ていた。
その真剣な表情を色とりどりの花火が照らし出す。

「好きだ」

静かな、けれど火薬よりも熱い熱を帯びた声だった。

「お前は?」

花火の音にもかき消されず、悟くんの声は不思議とはっきり私の耳に届いた。

「俺のこと、どう思ってんの」

「私、は」

ここで嘘をついたり誤魔化したりするのはフェアじゃないと覚悟を決めて口を開く。

「悟くんのことが好き。でも、同じくらい傑くんのことも好きなの」

言いながら、我ながら酷いことを言っているなと思う。でも紛れもない本心からの言葉だった。

「傑と同じくらい……」

悟くんの顔から表情が抜け落ちたように消えていくのを見て後悔したが、悟くんは静かにため息をつくと、何かをふっ切ったようにいつもの不敵な顔に戻っていた。

「お前の気持ちはよくわかった」

「悟くん……」

「見てろよ。いまに傑なんか比べ物にならねえくらい俺に惚れさせてやるから。覚悟しておけよな!」

…何だか余計に拗らせてしまった気がする。

でも、とりあえずいまの自分の正直な気持ちを伝えられたのは良かった。
これで心置きなく交流会に挑める。

傑くんのほうは…………交流会が終わったら考えよう。


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