東京の郊外にある、東京都立呪術高等専門学校。通称高専。
一応、私も呪術師の端くれではあるけれど、任務に赴くことは滅多になく、普段はこの東京校で五条さんの『先生』業のサポートを任されている。
特級呪術師である五条さんは、それはもう忙しい。教職だけに専念するわけにはいかない彼のために私が宛がわれたのである。
事務の仕事をしながら、五条さんが任務に出掛ける時には副担任として生徒の指導を代行する、というのが私の仕事だ。

そんな私に後輩が出来た。

専任事務員の蒔田美姫さんである。

彼女が赴任してくるにあたり、私は夜蛾学長に密かに呼び出されていた。
色々と事情がありそうだなと思っていたのであまり驚きはしなかったけれど。

「禪院家の親戚筋に当たる娘だが、当主の覚えが良くてな。本人のたっての希望でここに来た。いわゆるコネ入社だ」

「そんなにぶっちゃけていいんですか?」

私なんかにという意味合いをこめて尋ねたのだが、学長は苦笑しただけだった。

「なまえには迷惑をかけることも多いだろうが、よろしく頼む」



「蒔田美姫です。よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げた彼女は、特に問題があるようには見えなかった。
にっこり笑った顔が可愛いし、印象は悪くない。

「苗字なまえです。わからないことがあったら何でも聞いてね」

「はい!」

仲良くやれるといいなあ。
そんな風に思っていたのだ。私としては本当に。何しろ初めて出来た職場の後輩だったので、出来れば厄介事は避けたい。

「実は、最近、食欲がなくて」

「大丈夫?急に環境が変わったせいかもしれないね。ゼリー飲料とかなら食べられそう?買って来ようか?」

「五条さんを見ていると胸が苦しくて、食事も喉を通らないんです」

「えっ、ああ、そういう」

「どうすればいいと思います?」

「ええ……」

それを私に聞くのはどうかと思う。

実のところ、私と五条さんは密かにお付き合いしている仲だったので。
もちろん、周りの人達には内緒にしている。
硝子さんあたりにはバレていそうな気もするが、こちらから言い出さなければ詮索してくることはないだろう。

「五条さん、人気者だよね。京都の子の中にもファンがいるみたいだよ」

「そうなんです?でも、子供に負ける気はしませんね」

ワオ。想像していたより怖い子だった。

「それで、尻尾を巻いて逃げたわけだ。ウケる」

木造校舎の壁に背中をもたせかけてゆったりと腕を組んだ五条さんにその話をしたところ、笑い飛ばされてしまった。

「笑い事じゃないですよ、五条さん」

「でもさ、それってなまえが僕の恋人だって名乗り出ればいいだけの話だよね?」

「それが出来ないから困ってるんじゃないですか」

「どうしてそこまで頑なに隠そうとするかなあ。僕は、なまえは僕のだって野郎どもに言ってまわりたいんだけど」

「や、やめて下さい!」

「まあ、困ってるなまえも可愛いからいいけどね」

腕組みを解いた五条さんは、私の頬を優しく撫でると、上半身を屈めて触れるだけのキスをした。

「ほんと、お前だけだよ。僕にそんな我が儘を言えるのは。ちゃんとわかってる?」

「わ、わかってます」

五条さんの優しさに甘えてしまっているのはよくわかっている。
でも、交際をオープンにした時に起こるだろう大騒ぎを思うと、どうしても二の足を踏んでしまうのだ。

「今日、部屋に行くから」

耳元で艶を含んだ甘い声で囁かれ、私は真っ赤になって小さく頷くことしか出来なかった。



「なまえさん、何かいいことありました?」

「えっ」

「いつもより顔色いいなって」

「ああ、うん、ちょっとね」

「もしかして彼氏さんが泊まりに来たとか」

──思わず、持っていた書類を落としそうになってしまった。

「あ、やっぱりそうなんですね。いいなあ。私も早く五条さんとそういう関係になりたいです」

「あ、はは……」

「そういえば聞きました?今晩私の歓迎会をやってくれるそうです」

「うん、皆でお祝いするからね」

「五条さんも来ますよね?」

「どうかな……忙しい人だから」

「えっ、僕も行くよ?」

事務室にひょいと顔を覗かせたのは、いま話題になっていた本人だった。
五条さんを見た途端、美姫ちゃんはきゃるんと可愛らしい顔を作って五条さんを上目遣いで見上げた。

「五条さんも来てくれるんですかあ?美姫、嬉しい!」

「うんうん、僕も嬉しいよ。今夜はよろしくね」

「はぁい!」

五条さんが、ちらりと私を見た気がしたが、目隠しのせいではっきりとはわからない。
何だか嫌な予感がした。
でも、行かなかったら行かなかったで後悔しそうだし、他に選択肢はない。

「楽しみだねー」

「楽しみですぅ」

盛り上がる二人をよそに、私は何とか悪い方向に考えないように必死だった。

そして、その夜。
蒔田美姫さんの歓迎会という名目の飲み会が開かれた。
いつも飲みに行く『小鳥箱』ではなく、違うお店だったのは、きっと美姫ちゃんに気を遣ったのだろう。
いかにも若い女の子が好きそうな雰囲気の良いお店だった。

「ここのデザート、美味しくて種類が豊富なんだよね」

五条さんは下戸なので最初からメロンソーダとチョコレートケーキを注文していた。
五条さんが下戸で良かったとつくづく思う。
この上お酒まで強かったら本当に隙一つない完璧超人になってしまうからだ。

「お酒弱いなんて、五条さん可愛い」

しっかり五条さんの隣を陣取った美姫ちゃんは最初からブイブイ飛ばしている。
最近の若い子は大胆だね。
いや、そんなに年齢は変わらないはずなんだけど。私には無理だ。

「五条さんの髪、綺麗」

大きな瞳をうるうるさせながら美姫ちゃんが五条さんを落としにかかっている。

「髪以外も同じ色なんですかあ?」

「確かめてみる?」

「やだあ、五条さんのえっち!」

にこにこ笑いながら五条さんが目隠しを指で引き下ろした。
露になった美貌に、美姫ちゃんがはっと息を飲んだのがわかった。

「さすがにここじゃ見せられないけど、下も同じ色だよ。ね、なまえ?」

五条さんに水を向けられて、私は真っ赤になった後、真っ青になった。
最大の失態を犯してしまったことに気付いたが、もう遅い。

ぽかんとした美姫ちゃんが一転、その顔に明らかな理解の色が浮かぶのが見えた。

「──帰ります。ごちそうさまでした」

美姫ちゃんがすくっと立ち上がる。
その様子を五条さんはテーブルに頬杖をついて薄く笑んで眺めていた。

「ちょ、ちょっと待って!」

慌てて美姫ちゃんを追いかける。
私のせいだ。どうしよう!?

「美姫ちゃん、あの」

「謝らなくていいです。怒ってませんから」

その言葉通り、美姫ちゃんは奇妙に冷静な顔をしていた。

「五条さんのことは」

「もういいです」

そう言って、美姫ちゃんは笑ってみせた。

「私、他の女の御古には興味ないので」

お、おお……。

彼女がタクシーを捕まえて無事に帰って行ったのを見送り、お店に戻ろうと踵を返した私は、目の前にいた五条さんに危うくぶつかりかけた。
何が楽しいのか五条さんはにやにや笑っている。

「やったね、なまえ。これで公認の仲だよ」

「五条さん!」

「というか、皆とっくに僕達の関係知ってるから」

「えっ」

「公然の秘密ってやつ?誰もあの子には教えなかったみたいだけどさ」

「そ……そんなあ……」

がくりと項垂れた私の背中を五条さんがぽんと優しく叩く。

「でも、もうこれで皆知らないフリをしなくて済むから楽になったんじゃない?良いことをした後は気持ちがいいなあ」

「もう、もう、五条さんてば本当に五条さん」

「そんな僕が大好きなんでしょ。知ってる」

五条さんが片腕で私の肩を抱いたまま、もう片方の手を上げてタクシーを呼び止める。

「今日は僕の家でいいよね?」

もう、五条さんてば本当に五条さん。


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