一ヶ月前のバレンタインに恵くんにチョコを渡した。もちろん、本命だとバレないように。だって彼には津美紀ちゃんがいるから。
恵くんを困らせたくなかったというのもあるけど、何より今まで築いてきた関係が崩れてしまうのが怖かった。

恵くんと初めて会ったのは十八歳の時だ。
恵くんはまだ八歳で、とても可愛い男の子だと思ったのを覚えている。
私を恵くんに引き会わせた五条さんは、たぶん私に母親的な役割を期待したのだと思う。
五条さんの計算通り、健気な幼い姉弟に心を奪われた私は、その日以来二人のもとに脚しげく通うようになった。
それまで津美紀ちゃんが頑張ってきたという家事を積極的に行い、せっせと二人の世話を焼いた。
母親にはなれなくても、親戚のお姉さん的な存在にはなれていたと思う。
中学生になった恵くんがグレた時はショックを受けたし、彼がやんちゃをするたびに津美紀ちゃんと一緒にフォローに回った。
今ではそれも良い想い出だ。

津美紀ちゃんが寝たきりになってからは、恵くんはこれまで以上にしっかりした子になった。そうなろうと努力しているのがわかった。
その頃からだ。恵くんを異性として意識し始めたのは。
私の心配など飛び越えて、どんどん強く男らしくなっていく恵くんから目が離せなくなっていた。
でも、そんな想いは胸にしまい込んで、五条さんに稽古をつけてもらって呪術師として開花していく恵くんの精神的な支えとなれるよう務めた。

もうすぐ恵くんは正式に高専に入学する。
そうなれば、もう私の役目は終わるだろう。これからは彼の仲間達が彼を支えてくれるに違いない。
だから、けじめのつもりで、最後のバレンタインに本命チョコを渡したのだ。

「これ、バレンタインのお返し」

「ありがとう、嬉しい」

ぶっきらぼうに渡された紙袋を笑顔で受け取る。中には綺麗にラッピングされた包みが入っていた。

「開けてみてもいい?」

恵くんが頷いたので、私は紙袋から包みを取り出した。
そして、中身を目にした途端、言葉を失った。

「ホワイトデーのお返しにはそれぞれ意味があるらしいって知ったから、調べてそれにした」

「でも、これ……」

色とりどりのキャンディーを手に困惑する私を、恵くんの綺麗な目が真っ直ぐ射抜く。

「好きだ」

「恵く、」

「ずっと好きだった。例え、アンタが五条先生のことを好きだったとしても、もうこの気持ちは抑えられない。どんな手を使ってでも奪ってみせる」

「えっ、え、五条さん?」

「五条先生のことが好きなんだろ、わかってる。でも好きだ」

「五条さんとはただの先輩と後輩だよ?」

「……本当に?」

「本当に」

はあ、とため息をついた恵くんは見るからに脱力していた。
そうして、片手で顔を覆う。

「俺は、てっきりアンタは五条先生のことを好きなんだとばかり思ってた」

「ど、どうして?」

「好きなやつの頼みじゃなけりゃこんな面倒引き受けないだろ」

「そんなことないよ。面倒だなんて思ったことは一度もない。むしろ、恵くん達と引き会わせてくれた五条さんに感謝しているくらいだよ」

私は必死に言いつのった。
恵くん達と過ごした日々が、私にとってどんなに大事な日々だったかを。

「恵くんこそ、津美紀ちゃんのことが好きなんじゃ……」

「津美紀は姉貴だ」

恵くんはきっぱりと言いきった。

「それなら、何も問題ないってことか」

恵くんが一歩踏み出す。
反射的に後ろに後退ってしまった私との距離を一気に詰めて、恵くんは私を抱き締めてきた。

「好きだ。アンタを俺だけのものにしたい」

「私も恵くんのことが好き。でも、あの、」

「抱きたいって言ったら、どうする?」

「そ、それはちょっと待って!」

「抱きたい」

「ダメだってば!」

恵くんの胸板に手を突いて離れようとするが、びくともしない。
四苦八苦している私をじっと見下ろしていた恵くんがおもむろに身を屈めてきたかと思うと、次の瞬間には唇が重なっていた。

「これくらいはいいだろ」

満足そうな笑みを浮かべた恵くんにきゅんとしてしまった私はもうダメかもしれない。
再び近付いてくる恵くんの顔を目にして、美人だなあ、などと思ってしまう始末だ。

情熱的なキスを受け入れながら、五条さんに知られたら散々からかわれることになるんだろうなと内心ため息をついた。
そして、その予感は数時間後に現実のものとなったのだった。



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