※夏油生存教師if 「なまえ〜、ちゅーしよ、ちゅー」 「誰ですか五条さんに酒を飲ませたのは」 抱きついてキスをしようとする五条さんから私をガードしつつ七海さんが問いただすが、皆視線を逸らして自分ではないとアピールしている。 考えられるのは五条さんが自分で注文して飲んだということだが、下戸の五条さんが果たして自分から酒を飲むなんてことが有り得るだろうか。 「ほら、五条さん、しっかりして下さい。それは立派なセクハラですよ」 「邪魔するなよ、七海。僕はなまえとちゅーするんだから」 七海さんの鉄壁のガードのお陰で今のところ私に被害はないが、それもいつまで続くかわからない。 困った私を助けてくれたのは夏油さんだった。 「こっちにおいで、なまえ」 そっと別室に逃がしてくれた夏油さんにお礼を言うと、「悟がすまないね」と逆に謝られてしまった。 時刻は21時過ぎ。高専関係者による飲み会は宴もたけなわといった感じだ。 皆、五条さんを遠巻きに見守りつつお酒を楽しんでいる。 私はというと、最初の乾杯のビールとレモンサワー二杯でいい感じにほろ酔い加減になっていた。本格的に酔ってしまわない内に、そろそろ烏龍茶に切り替えるべきかもしれない。 そう考えていたら、目の前に烏龍茶のグラスが置かれた。 「そろそろ必要だろう?」 どうやら夏油さんが頼んでくれたらしい。 あの五条さんの学生時代からのたった一人の親友だけあって、本当によく気が利く人だ。 「ありがとうございます」 「どういたしまして」 最初のビールの時もそうだったけど烏龍茶はよく冷えていた。 冷たいそれで喉を潤し、ふうと息をつく。 すると、私の様子を見守っていた夏油さんがそっと私の手に自分の手を重ねてきた。 「このまま二人で抜け出してしまおうか」 低く甘い美声に耳元で囁かれて、ぼっと頬が赤くなる。 「なんてね。悟を抑えている七海もそろそろ限界だろうし、帰るならタクシーを呼んであげるよ」 「ありがとうございます。そうします」 それならお会計を、と財布を出そうとすると「ここは悟持ちだから大丈夫だよ」と夏油さんに止められた。 「いま電話するから、その間に準備しておいで」 夏油さんがタクシーを呼んでくれている間に、急いで化粧室に行く。 用を済ませてから軽くメイクを直して戻ると、夏油さんが廊下で待っていた。 「用意は出来たかな?じゃあ、行こうか」 「はい、色々とありがとうございます」 五条さんに見つからないようにこっそりと、夏油さんにエスコートされてお店を抜け出す。 外に出ると、初夏特有のむっとした熱気に全身を包まれた。 自分で思っていた以上に酔っていたらしく、ふらついてしまったところを夏油さんが肩を抱き寄せて支えてくれた。 「大丈夫かい?」 「はい、すみません」 夏油さんからは思わず深呼吸してしまいたくなるような上品な良い香りがした。 大人の男性の色気というのだろうか、夏油さんが漂わせているそれに頭がくらりとする。 そうする内にタクシーが到着した。 ドアが開いたそれに乗り込み自宅の住所を告げる。 すると、驚いたことに夏油さんが隣に乗り込んできた。 「心配だから自宅まで送って行くよ」 「え、でも、あのっ」 ドアが閉まり、タクシーが走り始めてしまう。 夏油さんはと彼を見れば、片手にコンビニのビニール袋を持っていた。 中には着替え用とおぼしき新品の男性用下着やお泊まりに必要と思われる諸々の品が入っているのが見えた。 いつの間に。というか、お泊まりセットを持っているということは。 「送り狼には気を付けたほうがいい。優しそうに見える男には、特にね」 そう言って夏油さんは私を流し見て妖艶に微笑んだ。 身体が重怠い。 嫌だな、と思う。お酒を飲んだ翌朝はいつもこうだ。 それにしても今朝は特に酷い。下半身を中心に身体全体がギシギシしている。 というか、二日酔いにしては何かおかしいよう、な……? 「寝かせておいてあげたいのは山々だけど、そろそろ起きないと遅刻するよ」 優しく頭を撫でられながら言われた言葉にぱちりと目を開く。 「げ、夏油さん……?」 「おはよう。シャワー借りたよ。身体は大丈夫?」 シャワーを借りたという言葉通り、夏油さんの長い黒髪は濡れていた。下はズボンを履いているけど、上半身は裸のままで、鍛え抜かれた逞しい肉体をさらしている。 「タ、タオル」 「ん?これでいいかな」 夏油さんが肩に掛けていたタオルを差し出してきたので、私はそれを夏油さんの頭に被せて、コシコシと水分を拭き取った。 ここまでほぼ無意識の行動である。 「ありがとう。優しいね」 タオルの下から夏油さんが爽やかな笑顔を覗かせる。 ──て、そうじゃない! 一転して昨夜の出来事を全て思い出した私はベッドの上を右に左に転げ回った。 私は昨日、夏油さんと……はわわ。 「その様子なら大丈夫そうだね」 そんな私を見下ろして夏油さんがクスクス笑っている。 「でも、おはようのキスくらいはさせてほしいかな」 やんわりと押さえつけられ、上半身を屈めた夏油さんにキスをされてしまった。 その瞬間、フラッシュバックする昨夜の記憶。 握り取られた手をベッドに押さえつけられ、激しく腰を打ちつけてくる、美しい獣のようだった夏油さんの姿と、彼に与えられた快感を思い出して身悶える。 信じられない。夏油さんと。あの夏油さんと。 「シャワーを浴びておいで。朝食を用意しておくから」 「あ、ありがとうございますっ」 私は夏油さんから逃げるように浴室に飛び込んだ。 シャワーを頭から浴びて正常な思考を取り戻そうとする。 落ち着いて。大丈夫、これはいわゆる一夜のあやまちというやつだ。夏油さんもワンナイトの相手くらいにしか思っていないだろう。 「着替え、ここに置くよ」 ドア越しに聞こえてきた夏油さんの声にハッとなる。そうだ、着替えを用意するのを忘れていた。 恐る恐るドアを開けると夏油さんはいなかった。その代わりに、クローゼットから持って来たと思われるオフィスカジュアルな上下と、引き出しにしまわれていたはずの下着が置かれていた。ふえぇ……! 夏油さんチョイスの黒いブラとショーツを身に付け、これまた夏油さんがコーディネートしてくれた服に着替えて、そっと部屋に戻ると、ちゃんと服を着込んで髪をハーフアップにした夏油さんににこやかに出迎えられた。 「朝食出来ているよ。食べられそう?」 「は、はい」 ご飯とお味噌汁、焼き茄子に玉子焼き。 日本の家庭の朝ご飯といった感じのメニューが並んでいる。 「味噌汁は本当はしじみがあれば良かったんだけどね。冷蔵庫の中のものを適当に使わせて貰ったよ」 「ありがとうございます」 いただきますをして食べ始めると、夏油さんも向かいに腰を降ろした。 すっと伸ばされた背筋と綺麗な箸使いに育ちの良さが滲み出ている。 「高専にはタクシーで行こう。私も一緒に行くからね」 「は、はい……」 「君は一夜限りの関係だと思っているかもしれないけど、私は本気だよ」 「ふ、ふぇ……」 「これっきりにはさせない。結婚を前提のお付き合いをしよう」 夏油さんが涼やかな目を柔らかく細めて優しく微笑む。 確信犯の笑みだ、と思った。 高専関係者の間では既に私が夏油さんをお持ち帰りしたという噂が広がりまくっていたのだが、そんなこととは露知らず、私はただひたすらこの人の手の平の上で転がされている感覚が恐ろしくて震えることしか出来なかった。 |