「わかっていると思うけど、今日君がとった行動は最悪だ。自分の命ばかりか仲間の命まで危険にさらしたんだ。最悪、全滅もあり得る事態だった」

「はい……すみませんでした」

「謝る相手が違うだろう。七海と灰原には謝ったのか?」

「はい……」

「それなら、君がすべきなのは反省だ。文字通り今日の自分の行動を省みて、本当はどうするべきだったのかよく考えてくれ」

「はい……本当にすみませんでした」

反省ならとっくにしている。海よりも深く後悔していたし、なんなら今すぐにでも自分を消し去ってしまいたいくらい自己嫌悪に陥っていた。
それでも、私のためを思って厳しく叱ってくれたであろう夏油先輩に深く頭を下げてからその場を立ち去るだけの分別は残っていた。

「苗字」

「ごめん。暫く一人にしておいて」

寮の自室に向かう途中、灰原くんが心配そうに私を呼び止めてくれたが、私はまともに彼の顔を見ることも出来ず、自分の部屋に向かって駆け出してしまっていた。
優しい彼のことだから、たぶん励ましの言葉をかけてくれようとしていたのだろう。
でも、立ち止まった瞬間泣いてしまいそうだったから、それは出来なかった。
ごめん。灰原くん。本当にごめんね。

自分の部屋に入ってドアを閉めた途端、私はその場に崩れ落ちて号泣してしまっていた。
部屋が近い硝子先輩には聞こえていたかもしれないけど、有り難いことに先輩は何かを言ってくることもなくそっとしておいてくれた。

今日、私は自分のミスで大事な仲間を失うかもしれないところだった。

自己嫌悪で死にそうになっていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。
返事が出来ないでいる内に、その誰かは廊下を歩き去ってしまった。
完全に気配が消えてからそっとドアを開ける。
ドアノブにコンビニのビニール袋がぶら下がっていたので、おずおずと中身を確認すると、おにぎりとペットボトルのお茶が入っていた。
それと、「食欲がないかもしれませんが、少しでも食べて下さい」と七海くんの綺麗な筆跡で書かれたメモが。
それでまた泣いてしまった。
私のせいで危ない目に遭ったのに二人とも優しすぎるよ……。

反省──そうだ、今日の自分の行動を振り返って、何が悪かったのか、どうするべきだったのかを考えよう。
もう二度と間違えたりしない。
二人の優しさに報いるためにも強くならなければ。


「それで、体術の訓練なわけね」

五条先輩は呆れ半分面白半分といった感じで私を見下ろしていた。
本人にそんなつもりはないのだろうが、こうして向き合っているだけで威圧感が半端ない。

「確かにお前弱っちいしな」

「うう……」

「というか、なんで傑じゃなくて俺なんだよ。こういうの傑のほうが向いてるだろ」

「最強の五条先輩に是非鍛えて貰いたいんです!」

「…まあ、別にいいけど」

じゃ、始めるか。という五条先輩の言葉で地獄の特訓が始まった。
覚悟はしていたけど、五条先輩はめちゃくちゃスパルタだった。
一度も攻撃を当てられないまま、投げ飛ばされまくること二時間。

「俺、これから任務だから」

「あ……ありがとうございました……」

ボロボロになって倒れ込んだ私をその場に残し、呼吸を乱すことすらないまま五条先輩は去っていった。
手加減はしてくれたに違いないけど──でなければ死んでいる──本当に容赦なくぶん投げられ続けたため、指一本動かすのも困難なほど私は消耗しきっていた。

「大丈夫かい?」

その声が聞こえた途端、私は冷水をかけられたように飛び起きた。

「大丈夫です。失礼します」

震えそうな足腰を無理矢理動かしてその場から逃げ出す。
背中に視線を感じたが、一度も振り向かないまま走り去った。やれば出来るものだ。

あの事件以来、私は夏油先輩のことを避けていた。

先輩が私のためを思って厳しく叱ってくれたことはわかっているのだけど、どうしても怖くて堪らなかったから。
夏油先輩の姿を目にしたり、声が聞こえただけで、心臓がぎゅっと縮みあがるほどの恐怖を感じてしまうのだ。
申し訳ないとは思うのだが、身体が勝手に過剰反応して震えてしまうので自分でもどうにもならない。

「痛い……」

自分の部屋に戻った私は四苦八苦しながらシャワーを浴びると、痛む身体を引きずるようにしてベッドに倒れ込んだ。

それからは、忙しい合間を縫って稽古をつけてくれる五条先輩に毎度の如くズタボロにされつつ、七海くんや灰原くんと一緒に訓練をして自分を鍛える毎日が続いた。
繁忙期である夏が来る前に足手まといから卒業したかったからだ。

「苗字は良く頑張ってるよ」

そろそろ梅雨入りかと思われる頃。
座学を終えた教室で灰原くんが言った。
五条先輩との稽古はまだ続いていた。

「七海もそう思うだろ?」

「そうだな」

七海くんまでもが同意してくれたので嬉しくなってしまった私は少し浮かれ過ぎていたのかもしれない。

先生に資料を運んでくれないかと頼まれた私は、手伝うと言ってくれた二人に大丈夫だからと言って一人で資料室へと向かっていた。

「えっと、ここかな」

古びた木製のプレートには確かに資料室と刻まれている。
私は預かっていた鍵で扉を開いて中に入った。
埃と古い書物の匂いがする。
運んできた資料を棚にしまい、帰ろうとした時だった。

「久しぶりだね、なまえ」

後ろ手に扉を閉めた夏油先輩が微笑んでいた。

「やっと二人きりになれた」

夏油先輩が言った。

「あの時、つい厳しい言い方になってしまったけど、君のことが心配だったからなんだ」

「はい、わかっています。その節はありがとうございました」

そうだ。ちゃんとわかっている。
それでも怖いものは怖いのだ。
一度刻み込まれた恐怖はそう簡単には消えない。

「それなら、何故私のことを避けるんだい?」

後退りするも、背後は壁だ。唯一の出入口は夏油先輩の後ろ。逃げ場はない。
ドッドッドッと激しく心臓が拍動しているのを感じながら、私はどうするべきかを必死に考えていた。

「怖がらないで」

夏油先輩が優しく言った。懇願するような声音だった。

「ご、ごめんなさ……」

「謝るのは私のほうだ。君を怖がらせるつもりはなかった。キツい言い方をしてしまって悪かった」

夏油先輩はもうすぐそこまで来ていた。
先輩の手が私の頬に触れ、身体がビクッと跳ねる。

「君のことが好きなんだ」

それはまったく予期していなかった言葉だった。

「あ、あの」

「おーい、苗字、大丈夫?」

灰原くんの声だ。
夏油先輩の手が名残惜しそうに私の頬を撫でてから離れていく。

「あれ?夏油さん?」

もしかしてお邪魔でしたか、と慌てる灰原くんの肩をぽんと叩いて夏油先輩は資料室から出て行った。
その途端、力が抜けてへなへなとその場にへたり込んでしまった私を見て灰原くんが駆け寄って来る。


その灰原くんは、いまはもういない。
任務中に命を落としてしまったから。

夏油先輩ももういない。
任務先の村で非術師である村人をほぼ皆殺しにしたために呪詛師として追われる存在になってしまったから。

七海くんももういない。
最後まで私を気にかけてくれていたけど、呪術師はクソだと言って辞めてしまったから。

私はいまも呪術師を続けている。

いまもちょうど任務を終えたところだったのだが、小雨が降る中、補助監督さんのもとへ戻ると、車の側にその補助監督さんが倒れているのが見えた。
そして、見慣れない格好をしたよく知っている人がその傍らに佇んでいた。

「なまえ」

甘い美声に優しく呼ばれて、条件反射的に身体が震える。

「まだ私が怖いのかい?」

困ったように笑ったその人は、優雅な仕草で私に向かって手を差し伸べた。

「君を迎えに──いや、攫いに来たよ」

引き寄せられ、あたたかい身体にしっかりと抱き締められて。悲鳴をあげることすら出来なかった。
あの頃よりも伸びた長い黒髪が雨に濡れている。
微笑むその姿に、妖艶という言葉が頭に浮かんだ。

「色々なものが変わってしまったけれど、君への想いだけはいまも変わらない。君を愛している」

私と一緒においで

囁かれた言葉が甘い毒のように全身を蝕んでいく。
もう私を助けてくれた灰原くんはいない。
灰原くん。七海くん……五条先輩。
やんわりと手首を掴まれ、携帯電話が震える手から滑り落ちる。

降り続く雨の中。
あとには、地面に落ちたままの携帯電話だけが残されていた。


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