呪術師としての才能に恵まれず、補助監督になるのがやっとだった私だが、料理とお菓子作りに関してはかなり自信がある。
それ呪術界で役に立つの?と思われるかもしれない。しかし、これが意外と役に立つものなのだ。
補助監督として呪術師の任務に同行する際には必ず焼きたてのクッキーなどを持参して行くことにしている。差し入れとして渡せばコミュニケーションのきっかけにもなるし、何より働きづめで疲れた術師の人がお菓子を食べてほっとした顔を見せてくれる瞬間が一番嬉しい。

親しい人には手料理を振る舞うこともある。昨日も七海くんに夕食をご馳走したばかりだった。
よほど気に入ってくれたらしく、今日仕事を終えて高専に戻って来た私をわざわざ待っていてくれた上にお礼まで頂いてしまった。

「昨日は本当にありがとうございました。あなたの作る料理はいつもとても美味しいですね。どこに出しても恥ずかしくない味だ」

自分でも料理をするという七海くんに手放しで褒められて、嬉しいやら照れくさいやらで身を小さくしていると、七海くんは更に言葉を重ねた。

「特にビーフシチューのポットパイは絶品でした。くどくなく、それでいて濃厚な味わいがあって」

「七海だけずるい!僕もなまえの手料理食べたい!」

「私の手料理は五条さんのお口には合わないみたいなので」

「あの時のことまだ怒ってんの?ごめん、ごめんてば!どうしたら許してくれる?」

「トラウマになっているので本当に無理なんです。ごめんなさい」

「あの……五条さん、申し訳ありませんが、そろそろお時間なので……」

「伊地知、後でマジビンタ」

それ八つ当たりですよね、五条さん。かわいそうな伊地知くんはすっかり青ざめてしまっている。


高専時代、一つ上の先輩にあたる五条さんのところには、バレンタインになると山のようにチョコが届けられていた。
何しろ四百年振りの六眼と無下限術式の抱き合わせで、容姿も頭脳も運動神経にも優れている次期五条家当主ともなれば、当然と言えば当然の話だった。

「こいつは初心者の手作りだな。材料も安物を使ってるから、いかにも安っぽい味がする。手作りで勝負するなら、せめて材料からこだわれよ。ていうか、まっず!」

山盛りのチョコが入った段ボールの中から取り出したチョコを食べた五条さんがオッエーと吐く真似をする。
一口食べただけのそれを、五条さんはポイとゴミ箱に投げ捨てた。
それはこっそりチョコの山の中に紛れ込ませていた私の手作りチョコだった。

「こら、悟。失礼だろう」

「口に合わないもんは仕方ないだろ。そんなに言うならお前が食ってやれよ、傑」

悪びれた様子もなく言う五条さんに呆れたようにため息をついた夏油さんがちらりとこちらへ視線を向ける。夏油さんは気付いていたのだ。
隠れて様子を伺っていた私にはそこまでが限界だった。
その場から逃げ出して、どこをどう走ったのか人気のない建物の裏まで来ていた私は、そこでやっと気が緩み、わんわん泣き始めた。
あまりにも無惨な形で初恋が終わった瞬間だった。

その後、夏油さんが説得したらしく、五条さんが謝りに来たけど、五条さんが何か言う前につらくなった私はまたしてもその場から走って逃げ出してしまった。
それ以来、私はずっと五条さんを避け続けている。
三年生になって特級呪術師になった五条さん達は忙しく、毎日のように任務であちこちへ飛ばされていたから、少し工夫するだけで五条さんと顔を合わせることがなくなったのは幸いだった。
それからは猛特訓して料理とお菓子作りの腕を磨いた。二度と惨めな思いをしなくて済むように。

あの時、間に入って五条さんに謝らせようとしてくれた夏油さんはもういない。
迷惑をかけてしまってごめんなさいと謝ることが出来なかったことが今でも心残りとなっている。

高専を卒業した私は無事希望していた補助監督となり、五条さんは最強の特級呪術師として相変わらず忙しく各地を飛び回っている。

そのまま何も変わらないはずだった。

あの百鬼夜行の日を境に、五条さんが再びちょっかいをかけてくるようになるまでは。

「おはようございま……す」

七海くんと話した翌日、高専に出勤すると土下座をした五条さんに出迎えられた。
相手が相手なので誰も何も言えないでいるらしく、教員室の中には何とも微妙な空気が流れている。
えっ、これもしかして私がなんとかしないといけないの?

「ちょ、顔を上げて下さいよ五条さん」

「なまえが許してくれるまでやめない」

土下座をしたまま五条さんが言った。

「ごめん、本当にごめん。反省してるから許して」

いつものおちゃらけた態度はどこへやら、聞いているこちらの胸が苦しくなるような悲痛な声だった。

「えっと、とりあえずここではなんなので場所を変えて話し合いましょう。許す許さないはそれからということで」

「……わかった」

五条さんが顔を上げる。こんなしょんぼりした五条さんを見るのは初めてだ。
私は五条さんを連れて使われていない空き部屋に向かった。ここなら人目を気にせず言い合える。

「あの時は本当にごめん。全部僕が悪かった」

困惑を隠せずにいる私に、五条さんが続けた。

「お前が作ったチョコだって知らなかったんだ。知ってたらあんな酷いこと言ったりしなかった」

「それは……」

「ずっとお前からのチョコが欲しくてイラついてたから、他のやつからのチョコなんていらないっていうところを見せようと思って、見せしめっぽくやっちゃったんだ。ごめんね」

「えっ」

「でも、謝ろうとしたらお前泣いて逃げるし。僕もいい加減泣きたいよ。好きな子に避けられ続けて、つらくて堪らないんだけど」

五条さんが目隠しを指で引き降ろす。
現れた、蒼穹をそのまま閉じ込めたような美しい双眸に視線が吸い寄せられる。
ずっと前からこの蒼が大好きだった。
揺れる私の心を知ってか知らずか、五条さんが身を屈めて顔を近付けてくる。
神様が特注で造らせたような、至宝の如き美貌が至近距離にあった。

「好きだ」

「えっ」

「大好きだよ」

「ご、五条さん?」

「愛してる」

甘い声で囁いた五条さんが私の頬へと手を滑らせ、少しかさついた指先が輪郭をなぞるように動く。
たったそれだけで頑なだった私の心は決壊寸前になっていた。

「ずっと前からお前のことが好きだった。酷いことしてごめんね。お前の気が済むまで何度だって謝るから許して」

「う……ふぇ……ぐす……」

堪らず泣き出してしまった私を五条さんが優しく抱き締める。小さな子供をあやすように優しい手つきで背中を撫でられて、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてくる。

「傑に言われたんだ。好きな子を泣かせるんじゃない、ちゃんと謝って仲直りしろって。ほんとお節介なやつだよね」

夏油さんがそんなことを……。いまはいない優しい先輩を想って余計に涙が溢れ出てきた。

「もう一度やり直そう。もう一度僕のこと好きになってよ。そのためなら何だってするからさ」

五条さんの指で涙を拭われ、頬を包み込むようにして上を向かされた私の唇に柔らかい唇が重ねられる。

「だから、チョコちょうだい」



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