新宿のビル街に停めた車の中で、私は特級呪物を運ぶよう高専が依頼した運び屋を待っていた。
もうすぐ三月も終わるというのに、まるで冬に逆戻りしたような寒い夜で、車の暖房を強くしていなければきっと凍えていただろう。それくらい今夜は冷え込んでいる。

その男は、夜の闇の中から滲み出て来たように現れた。

全身黒尽くめなのは五条さんや夏油さんと変わらないが、纏う空気が血生臭すぎる。
ただ、特級呪物を扱うだけあって、特級呪術師に負けずとも劣らない底知れない強さが感じられた。

「お待たせしました。運び屋の赤屍蔵人と申します」

車を降りて後部座席のドアを開けると、男はひっそりと笑みを浮かべて音もなく車内へと乗り込んだ。その様子に何となくうすら寒いものを感じながらドアを閉め、私も運転席に乗り込む。

「いないいないと思っていたら、こんなところにいらしたのですね」

「えっ?」

「いえ、ただの独り言です。どうかお気になさらず」

寒さからくるものではない冷気をひしひしと感じる。怖い。めちゃくちゃ怖い。出来るものならこの場に置き去りにして高専に逃げ戻りたいくらいに怖い。
しかし、これは仕事だ。補助監督としての務めを果たさなければならない。
私は勇気を振り絞って車を発進させた。
一刻も早くこの男を送り届けて任務を終わらせよう。それしかない。

「この世界は面白いところですね」

赤屍さんが言った。背中に視線を感じる。

「私がいたセカイもそれなりに楽しくはありましたが、特級呪術師と言いましたか、彼らは実に興味深い。是非一度手合わせを願いたいものです」

五条さんと夏油さんのことだろうか。最強コンビと戦いたがるなんて、この人はもしかして戦闘マニアか何かなのだろうか。もしそうならあまり関わりたくはない。巻き込まれるのは御免だ。
というか、いまの口振りからすると彼は別の世界から来たということになるのだが、どうなのだろう。

「一ヶ月前のことです。運び屋としての依頼の最中に、少々邪魔が入りましてね。その時に次元を斬ったのですが、偶然こちらの近くにいた五条くんの気に惹かれてこの世界にお邪魔したのですよ」

私は何と答えて良いものか迷った。心を読まれたのも怖かったし、先ほどからずっと全身を舐めるように見つめてくる視線も怖くて堪らない。
だが、幸いなことに高専まではもうすぐだった。もうすぐこの恐怖から解放される。

「それにしても今夜は冷えますね」

「そう、ですね。珈琲ならありますけど、お飲みになりますか?」

「ありがとうございます。では、一杯だけ頂きましょう」

ちょうど高専に近い山道を走っていたところだったので、一度車を脇に止めた私は珈琲が入ったボトルから中身をコップに注いで赤屍さんに渡した。

「熱いので気をつけて下さい」

「ありがとうございます」

コップを受け取った赤屍さんが静かにそれに口をつける。

「普段は紅茶派なのですが、こうしてたまに飲む珈琲も良いものですね」

「そう言って頂けて良かったです」

赤屍さんからコップを受け取ろうとすると、突然手首を掴まれた。それはまるで蛇が獲物に食い付くような素早さだった。

「やはり、貴女は貴女だ。どこにいても変わらず善良で、私を惹きつけてやまない」

「は、離して下さい……!」

パニックに陥りかけていた私を救ったのは、この場にいるはずのない第三者の声だった。

「遅いと思ったら、こんなとこでなにやってるの」

軽薄を絵に描いたようなその声をこんなにも頼もしく感じたことはない。

「五条さん!」

「はいはい、お前の五条さんだよ。君はその手、離してね」

「力ずくで奪ってみてはいかがですか」

「へえ、僕とやる気?」

五条さんと赤屍さんの間でオーラがぶつかりあって火花が散ったように見えた。
互いを見据えたまま動かない二人の横から伸びてきた腕に攫われるようにして車の外へと連れ出される。

「お帰り。遅いから心配したよ」

「夏油さん!」

巨大なエイに似た呪霊をバックに夏油さんが立っていた。どうやら高専から飛んで来たらしい。

「傑、そっちは任せた」

「一人で大丈夫かい?」

「誰に向かって言ってんの」

ガキン!と音がしてそちらを見ると、赤屍さんがいつの間にか血のように赤い剣を握っていて、それで五条さんを攻撃していた。が、当然ながら無下限によって弾かれてしまっている。

「面白い。楽しいですねえ、実に楽しい」

「余裕だね。これでもまだそんなことを言っていられるかな」

五条さんの指先に赤い光が灯る。

「術式反転──“赫”」

一瞬ののち、凄まじい爆風が襲ってきた。
見れば、先ほどまで赤屍さんがいた場所からかなり遠くまで地面が抉れている。五条さんの術式が通った跡だ。
赤屍さんは無傷だった。地面と水平に崖に「立って」いる。

「依頼の品の特級呪物は?」

夏油さんに尋ねられたので、私は赤屍さんから受け取った箱を夏油さんに渡した。

「確かに。これで君の任務は終了だ」

中身を確認した夏油さんに抱き上げられる。そのままエイに似た呪霊に乗せられ、夜空へと浮かび上がる。

「先に戻っているよ、悟」

五条さんがひらひらと片手を振って応えたのを見て、夏油さんは高専に向かって飛び始めた。

「あの、大丈夫なんでしょうか」

「平気さ。悟は最強だからね」

私達が高専に着いてからしばらくして戻ってきた五条さんはいつも通り軽いノリで「お疲れサマンサー!」と片手をあげた。

「あいつ、『ごちそうさまでした。次は是非紅茶をご一緒に』って言ってたけど、どういうこと?」

珈琲を飲ませたことを伝えると五条さんはぷりぷり怒り出した。

「なにそれ!僕もお前の淹れた珈琲飲みたい!」

「私もご馳走になろうかな」

「じゃあ、今からなまえの部屋で飲み会ね」

五条さんと夏油さんに両脇を固められて部屋に連行されながら、私は「次」とはいつなんだろうと考えて一人怯えていた。
これが春とも思えぬ寒い夜に起きたちょっと不思議で恐ろしい出来事の結末である。


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