「美味しそうなもの食べてるねえ」

昼食用に持ってきたシュリンプサラダとクリームチーズのパニーニを食べているときのことだ。五条さんが椅子の背をこちらに向けて長い脚を両側に投げ出すように座りながらそんなことを言い出したのは。
黒い目隠しで目元は隠されているし、形の良い唇にはうっすらと笑みを浮かべてはいるけど、その表情からは彼の真意はうかがい知れない。

「僕にも一口ちょうだい」

雛鳥がするみたいにあーんと大きく口を開けて待っているので仕方なくパニーニを食べさせてあげると、それはそれは幸せそうな顔でもぐもぐと食べるものだから、ちょっとだけ可愛いと思ってしまった。
これだからこの人は憎めないのだ。図体に似合わず可愛らしいところがあるせいか無性に母性本能をくすぐられてしまうのである。
硝子さんに言わせると、ただ厄介なだけの二十八歳児らしいけど。

「五条さん、またあなたという人は」

私達のやり取りを見ていたらしい七海さんが呆れたように言った。

「それでは彼女の分が無いでしょう」

言われて手元を見れば、パニーニは一口分くらいしか残っていなかった。五条さんがあらかた食べてしまっていたのだ。いつの間に。

「ごめんごめん。なまえが食べてるものはなんでか美味しそうに見えてつい食べ過ぎちゃうんだよね」

全く悪びれた様子もなく五条さんがへらへらと笑う。そんな五条さんを仕方がないなあと許してしまう私も私かもしれない。

「お詫びに食事に連れて行ってあげる。今夜空いてるよね」

「え、いえ、あの」

「遠慮しなくていいよ。十九時に迎えに行くから支度して待ってて」

という会話の後、私はいつも通り仕事をこなしたのだが、それがいけなかった。
なんとしても断るべきだったのだ。

待ち合わせの時間に迎えに来てくれた五条さんによって、なんだか物凄くラグジュアリーなホテルに連れて来られてしまった私は空高くそびえるその高層ビルを呆然と見上げていた。

「じゃあ、行こうか」

五条さんが当たり前のようにエスコートしてくれる。その間に伊地知さんが運転する車は行ってしまっていた。

「もしかして緊張してる?」

エレベーターに乗り込んで扉が閉まったタイミングで五条さんが私の顔を覗き込んでくる。サングラス越しに見える青い瞳が笑っていた。そう、五条さんはいつもの目隠しではなく、濃い色のサングラスをしていて、その服装もオーダーメイドのものと思われる品のあるスーツ姿だった。

「個室だから心配しなくていいよ」

「個室……?」

「そ。なまえとのデートだから、僕も気合い入れちゃった。だから気にせず楽しんでよ」

気にするなと言われても……と戸惑っているうちにエレベーターが到着し、扉が開く。
レストランの入口にはマネージャーらしき人が立っていて、五条さんに深々と頭を下げた。

「お待ちしておりました、五条様。ご案内させて頂きます」

こちらへどうぞと促されて歩き出した五条さんの半歩後ろをついていくのだが、ビビって足が止まりそうになる。
もう既にこの時点で気にするなとか無理なんですけど!

「どうしたの。早くおいで」

五条さんに手を引かれて隣を歩く羽目になってしまった。

「どうぞごゆっくりお過ごし下さい」

一礼したマネージャーさんが立ち去る。
案内された場所は確かに個室だったが、私が想像していたようなこじんまりした空間ではなかった。
広々とした室内の三方はガラス張りになっていて、夜景が見渡せる中央には皮張りのソファの応接セット。そして窓際にはいかにも高級そうなテーブルと椅子があった。
いかにもセレブのお忍び用といった感じの部屋だ。

「何か食べたいものある?何でも持って来させるけど」

「いえ……お任せします」

「そう?じゃあ、適当に頼むね」

運ばれてきたのはコース料理だった。恐らくこのお店で一番お値段が高いやつ。
五条さんチョイスの「適当」は私が知っている常識とかけ離れ過ぎている。
ただ、さすがというべきか、料理はどれもとても美味しかった。

緊張でガチガチだった私を気遣ってくれたのか、五条さんが楽しい話題をふってくれたので、デザートが運ばれてくる頃には私はすっかり落ち着いて食事を楽しめるようになっていた。

「美味しかったね。特にこのデザートは最高だった」

「はい、凄く美味しかったです。今日はありがとうございました」

「お礼なんかいいって。元々パニーニのお詫びだし、僕も楽しかったからお互いさまってことで」

窓へと視線を向ければ、美しい夜景とともにライトアップされた満開の桜の木々が見渡せる。
綺麗だな。そういえば今年はまだお花見に行けていない。

「今からお花見する?」

「えっ」

五条さんに連れて来られたのはヘリポートになっているホテルの屋上だった。

「しっかり掴まってて」

「えっ、あっ」

サングラスをポケットにしまい、軽々と私を抱き上げた五条さんの身体が宙に浮く。
そのまま五条さんは桜並木の上へと飛んで行った。

「どう?上空から見る桜は?」

「凄く綺麗……」

上から見るライトアップされた桜並木はまるで桜色の海だった。
ピンクがかった白は染井吉野で、向こうの白っぽいのは枝垂れ桜のようだ。

「本当に綺麗だね」

五条さんが言った。

「お前のことだよ」

「えっ」

「やっぱりわかってなかったか」

苦笑されて戸惑っていると、五条さんはやれやれと言いたげな顔をした。

「お前が食べてるものを食べたがるのも、今日食事に誘ったのも、全部お前のことが好きだからだよ」

「うそ……」

「嘘じゃない。ちゃんと僕の目を見て」

逸らしていた視線を五条さんに向けると、びっくりするほど優しい眼差しにぶつかった。
遮るもののない六眼が、夜の闇の中にあっても美しく煌めいている青い瞳が、はっきりとそれとわかるほど熱を帯びて私を見据えている。

「まあ、この後のお前の答えによっては腕が滑って落としちゃうかもしれないけど、それは仕方ないってことで」

喉で笑った五条さんが、突然恐ろしい生き物に見えて私は密かに身を震わせた。
誇張でもなんでもなく、私の命は今まさにこの人の手の中にあるのだ。

「愛してる」

そんな私に、先ほどまでとはうって変わったとびきり甘い声で五条さんが囁いた。

「今日は帰さなくてもいいよね?」



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