今日はいかにも真夏といった感じの猛暑日だけど、隣に座っている傑先生はどこまでも涼やかな佇まいで、暑さなどとは無縁な様子に見える。もっとも、室内は冷房によって快適な温度に保たれているのだが。でも傑先生のことだから照りつける陽射しの下でもきっと涼しげに見えることだろう。

「うん、いいね。良く出来てる」

打ち終えたばかりの英語の小論文に目を通していた傑先生が頷いて言った。後ろでハーフアップにされている長い黒髪がさらりと揺れて私の目を惹き付ける。先生が身動ぐと良い香りがした。香水なのか、それとも。

「ただ、ひとつだけ。What your name?よりはMay I have your name?のほうがベターかな」

「あ、なるほど」

忘れないうちに指摘された箇所を打ち直して文章を保存する。その間、傑先生は優雅に麦茶を飲んでいた。先生の大きな手の中でグラスの中の氷がカランと澄んだ音を立てる。男らしい太い首。その喉元でくっきりとした喉仏が動く様が何だかなまめかしく思えて私はそっと目を逸らした。こんなにもセクシーな家庭教師がいていいのだろうか。いや、よくない。

傑先生は、夏油傑という名前で、私の家庭教師の先生だった。
大学在学中に親友と起業して、今はその副社長を務めているというから凄い。

「先生、お仕事大変じゃないですか?」

「軌道に乗るまでは忙しかったけどね。いまはそれなりに楽しくやっているよ」

傑先生は優しく笑って、「そんなに疲れているように見えた?」と私の頭を撫でた。
うっとりしてしまうようなその感触に流されまいと、先生の顔に視線を向ける。

「ちょっとだけ。目の下にうっすら隈が出来ているから」

指先でそっと先生の目元に触れると、やんわりと手首を掴まれて手を下ろされた。

「そんな風に男に触れてはいけない」

静かな声で傑先生が言った。見たことのない『男の人の顔』で。

「その気があるのではないかと勘違いさせてしまうよ」

勘違いじゃないです、と言いたいのに傑先生から醸し出される何かに気圧されて言葉が出ない。心臓がうるさいくらいに鳴っている。そうだ、先生は男の人なんだ。例え抵抗したとしても容易くねじ伏せてしまえるほどの力の差がある、大人の男の人。

その時、奇妙な緊張感に満ちた空気を破るようにノックの音が響いた。ドアを開けてお母さんが入って来る。その手には一口大にカットされたメロンを盛り付けたガラスの器とフォークが乗ったトレイがあった。

「すみません、お邪魔でしたか?」

「いえ、ちょうど一息入れていたところです」

「良かった。メロンを切ったのでどうぞ召し上がって下さい」

「ありがとうございます」

傑先生とお母さんが話している間も、私の心臓はドクドクと脈打っていた。にこやかにお母さんと会話する傑先生は穏やかで物腰の柔らかいいつも通りの先生だった。そのことにほんの少しだけ安心する。

「じゃあ、お勉強頑張ってね」

私が頷いたのを見てお母さんは部屋から出ていった。ドアが閉まったのを確認してから傑先生が私に向き直る。

「メロンは好きかい?」

「え、あ、はい」

実のところ、好きでも嫌いでもなかったのだが、何となくそう言ってしまっていた。
にっこり笑った傑先生がメロンをフォークで刺して私の口まで運ぶ。

「はい、あーん」

あーんと口を開ければ、すかさず中にメロンを入れられる。途端に独特の芳香と甘みが口の中に広がった。

「さっきの話だけど」

私の唇についた果汁を太い親指の腹で優しく拭った傑先生が、それをぺろりと舐め取る。その舌の赤さといい、あまりにも目に毒な、とてつもなく淫靡な仕草だった。またもや心臓がドッドッドッとやかましく鳴り始める。

「私は勘違いでなければいいと思っているよ」

「えっ」

「今すぐにでも私のものにしてしまいたいけれど、今日のところは見逃してあげよう」

「あ……う、」

耳元で甘い美声で囁かれた誘惑の言葉に私の脳みそはオーバーヒート寸前だった。

「卒業したら、お嫁においで」

切れ長の目を三日月の形にして先生が微笑む。
それは確実に捕らえられる獲物を前にした肉食獣の目だった。


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