居眠り運転のトラックにはねられて人生が終わったと思ったら、また赤ちゃんから新しく人生が始まった。 これはいわゆる生まれ変わりというものだと思う。でも、普通の生まれ変わりとは違うようだ。何故なら、私が死んだのは令和だったのに生まれ変わったのは平成の世界だったからである。それに、呪霊なんて前の世界にはいなかった。ここにはうようよいる。 結論。どうやら私は異世界に生まれ変わってしまったらしい。 呪術界の御三家のひとつである五条家。 今日ここでは五条家の次期当主様の婚約者候補が集まって血で血を洗う争いが行われているらしい。 代々優秀な呪術師を輩出している家系である私の家も、自慢の娘──私の妹をその泥沼の争いに参加させるべく張り切って五条家へとやって来ていた。ぱっとしない術式持ちで反転術式しか使えない私ははなから争奪レースには無縁の存在として、両親が妹を売り込んでいる間、大人しく待っていなさいと広い庭に一人取り残されてしまっていた。 仕方なく庭を見て歩いているのだが、さすが由緒正しいお家柄の御屋敷だけあって見事なまでに整えられている。 「お前、何やってんの?」 これまた芸術的な池の畔に座り込んで錦鯉を見ていたら、知らない男の子に話しかけられた。陽射しに透ける白銀の髪に、同じ色の長い睫毛に縁取られた瞳は星を散りばめたような空の青だった。凄い。びっくりするほどの美少年だ。 「お魚を見ています」 「ふーん」 少年が何か合図をすると、着物姿の女性が何やら小さな包み紙を彼に差し出した。 どうやらそれは鯉の餌だったらしく、少年が無造作に池にそれを撒くと、ばしゃばしゃと派手な水音を立てて錦鯉達が一斉に食べ始めた。 「わっ!」 あまりの勢いに驚いて尻餅をついてしまった私に、少年が声をあげて笑う。 「こんなんでビビんなよ。面白いやつ」 恥ずかしくて顔を赤らめながら少年を見上げると、彼もまたじっと青い眼で私を見つめていた。 「暑くね?暑いよな。向こうで冷たいもんでも飲もうぜ」 「え、でも」 「いいから来いって。取って食ったりしねえからさ」 少年に手を握られて引っ張って行かれた先は、離れのような建物の縁側だった。そこに並んで腰を下ろすと、すぐによく冷えたカルピスが運ばれて来た。 「甘いの好き?」 頷いた私に満足そうに笑って、少年がカルピスの入ったグラスを呷る。年の頃は十三歳くらいといったところだろうか。まだ子供のあどけなさを残してはいるが、見上げるほどに背が高く、常日頃から鍛えているんだろうなと思うほど体格もがっしりしている。 「お前、名前は?」 「なまえです」 「なまえ。俺は悟。さとる。呼んでみ?」 「さ、悟お兄さん?」 「悟でいいって。敬語もいらねえ」 「じゃあ……悟くん」 「うん、それでいい」 カルピスを飲みながら悟くんとは色々な話をした。悟くんが通っている中学校の話、この前襲ってきた呪詛師が雑魚すぎてむしろ哀れだったという話。 悟くんは中学を出たら東京の高専に入学するのだそうだ。今から楽しみだと悟くんは未知への期待に瞳を輝かせていた。 「悟様!こちらにいらしたのですか!」 疲れきった様子の男性が慌ただしくやって来て悟くんの傍らに跪いた。 「皆、もうずっとお待ちしておりますよ。どうか、我が儘を仰らずにお目通りを」 「やだね。めんどくせー」 悟くんがベッと舌を出してみせる。 「それに、嫁にしたいやつならもう決まってるから。な?なまえ」 悟くんに手を握られた私はきょとんとした顔をしていたと思う。それくらい唐突な言葉と意外な展開だった。 「来て。皆に紹介してやる」 悟くんに手を引かれて歩き出すと、御付きの人達も慌ててついてくる。そのまま大広間のような場所に連れて行かれた私は息を呑んだ。そこには大勢の大人と一緒に小さな女の子から妙齢の女性までもがいて、皆平伏して悟くんを迎えたからだ。 「こいつに決めたから。お前らもう帰っていいぜ」 「お待ち下さい!」 声をあげたのは私の父親だった。 「妹のほうが悟様には相応しいです!是非お側に!」 「俺はなまえがいいって言ってんだろ」 それはぞっとするような冷たい声だった。 人に命令し慣れている、生まれながらに人の上に立つ者が持つ、絶対的強者の声。 「いいから早く帰れよ。俺の機嫌がいいうちに」 皆が揃って一礼をしたかと思うと、誰も彼もが慌ただしくその場から立ち去って行った。それほど彼の機嫌を損ねるのが恐ろしいのだろうか。 「お前、今日から俺のものだから」 悟くんがニッと笑って私に言った。 どういうこともこういうこともなかった。 その日から、悟くんが住む離れが私の家であり唯一の居場所となった。 外に出ることは許されず、悟くんのためだけに生きることを強いられたが、それほど悪い環境ではなかった。 朝起きたら悟くんを起こして身支度をし、学校に向かう彼を見送ってから花嫁修業に明け暮れる毎日である。 さぞかしスパルタな講義になるのだろうと覚悟していたのだが、予想外に講師の人達は優しかった。というよりも、みんな私の顔色を伺っているようだった。たぶんだけど私の口から悟くんの耳に入って彼の機嫌を損なうのを恐れていたのだろう。 夜になれば悟くんと枕を並べて眠った。 「初めて逢った時のこと覚えてる?」 「うん、もちろん」 「あの時、わかったんだ。なまえが俺の特別だって」 悟くんはどこか熱に浮かされたような声音で言った。 「お前は他の女とは全然違う。俺のものになるために生まれてきた女だって、すぐにわかった」 普通なら何かおかしい、と怯えるところだったのかもしれないが、私はただ嬉しいと感じただけだった。 その夜は手を繋いで眠った。 悟くんが高専に入学してからは一人で眠ることになったが、たまにふらりと帰宅してはじゃれあうように私を可愛がってから悟くんは私を抱き締めて眠るようになった。 大切に大切に、真綿でくるんで箱にしまわれるように扱われる日々。 そんな生活が十年続いた。 「ま、待って、悟くん」 「十年待ったよ」 チョコレートをとろとろに溶かしたような蕩けそうに甘い声で悟くんが答える。 この十年で彼はすっかり大人の男性になっていた。それも、超のつく美丈夫に。 長い手足は逃がさないとばかりに私を絡めとり、この世の至宝の如き美しい顔を近付けて、あの青い眼で見つめてくるのだ。抗えるはずもなかった。 「もう一秒だって待てない」 「……ふ、ぅ…っ、んん……」 悟くんてば、どこでこんなキス覚えたの。 キスだけで腰砕けにされてしまった私は悟くんの大きな身体にのしかかられても抵抗らしい抵抗も出来ずにされるがまま、その情熱的な愛撫に身悶えるしかなかった。 「全部、ぜんぶ、僕のものだ。僕の」 若い肉食獣のような悟くんに翻弄され、隅々まで食べ尽くされた。結果、 「だいぶ大きくなったね」 まあるく膨らんだ私のお腹に頬をすり寄せながら悟くんがほうと息をつく。 「安定期に入ったからもう大丈夫だって、お医者さまが」 「だーめ。無事生まれてくるまでは無茶しちゃダメだよ」 僕も素股で我慢するから、と悟くんが私の胸に顔を埋めて言った。我慢ってそっち? くすくす笑えば、悟くんも幸せそうににこにこと笑いかけてくる。 「だって、初めて逢った時からずっと、なまえは僕の宝物なんだから」 唇に触れた悟くんの唇は甘く、優しく。 何もかもすべてを彼の前に投げ出したくなるほど魅力的なものだった。 悟くんに見初められたあの日からすべてが狂ってしまったのだとしても後悔はない。 私はとっくに彼のものなのだから。 この熱病から褪める日は、きっと来ない。 |