夕暮れ刻だというのに、まるで暑さがおさまる気配がない。
古い建物であちこちに隙間があるせいで冷房があまり効かない職員室で、私は額に汗を滲ませながら書類を書き上げていた。
せめて冷たい飲み物でもあればと思うのだが、立ち上がって冷蔵庫まで取りに行くのすら億劫だった。

「たっだいまー!頑張ってるねえ」

引き戸を開けて入って来た五条さんはこの暑さでもいつも通りのテンションだった。
まるで暑さを感じていないみたいだ。
特級呪術師ともなると暑さをコントロール出来るのだろうか。それとも無下限によるものなのか。いずれにせよ羨ましい限りである。

「お帰りなさい。お疲れ様でした」

「うん、なまえもお疲れ」

そう言うと五条さんは職員室の中をぐるりと見渡した。

「なまえだけ?ちょうど良かった」

何が、と問う前に上半身を屈めた五条さんが耳元で囁く。

「後で僕の部屋に来て」



別に期待なんかしてないんだからね、と自分に言い聞かせながら念入りにシャワーを浴びて汗を流し、お気に入りの部屋着に着替えてから五条さんの部屋に向かう。
別に私達はそういう関係ではない。だから何も期待することなどないのだ。ないはずだった。
木造の職員寮に新しく併設された建物に五条さんの部屋はあった。特級呪術師に相応しく、特別広いその部屋にはキッチンや浴室まで備え付けられている。

「シャワー浴びて来たんだね」

出迎えた五条さんからも微かにシャンプーの甘い香りがした。出張帰りだったのでシャワーを浴びていたのだとしても別におかしなことではない。ドキドキしてしまう私がおかしいのだ。

「もしかして期待させちゃった?ご期待に応えてあげても構わないけど」

「き、期待なんかしてません!」

「そう?僕は期待してたよ。好きな子が自分の部屋にいて、しかもシャワー浴びてきて準備万端なんだから、えっちなこと考えるなってほうが無理でしょ」

「えっ」

「なんてね。はい、お土産」

「……ありがとうございます」

からかわれてしまった。相変わらず掴みどころのない人だ。どこに本心があるのかまるでわからない。

「じゃあ、失礼します」

「なんで?ここで食べて行きなよ」

「いえ、あの、でも」

「いいからいいから、ほらここ座って。いまお茶淹れるね」

仕方なく勧められたソファに腰を降ろし、ハミングしながらお茶の用意をする五条さんを眺める。シャワーを浴びた後なのだから当たり前だが、今は目隠しもサングラスもしていない。あの星を散りばめたような海と空の蒼詰め込んだ六眼があらわになっている。
私はこの眼が苦手だった。何もかも見透かされてしまいそうで落ち着かない。

「ねえ、聞いてる?」

はっと我に返ると五条さんが私の顔を覗き込んでいた。神様が特注で造らせたようなご尊顔が間近に迫っていて思わず仰け反る。

「シロップは入れるかって聞いてたんだけど」

「あ、えっと、いらないです」

「僕の顔に見とれちゃってた?気持ちはわかるよ」

うんうんと頷く五条さんから目を逸らして立ち上がる。

「すみません、やっぱり帰ります」

これ以上気持ちをかき乱されるのはごめんだ。やっぱり来るべきではなかった。

「待って」

ドアに向かおうとしたところで手首を掴まれて止められる。

「ごめんね、逃げないで。謝るから許してよ」

何を許せというのだろう。無邪気にこちらの想いをめちゃくちゃに翻弄すること?だとしたら最悪だ。

「ごめん。調子に乗りすぎた」

五条さんの長い指が私の目元をそっと拭う。そうされるまで私は自分が泣きそうになっていることに気付かなかった。本当に最悪だ。

「好きだよ」

甘く囁いた五条さんに抱き締められた。

「いじめてごめんね。なまえがあんまり可愛いから、つい意地悪したくなっちゃったんだ。許して」

涙の滲んだ目元に、頬に、優しいキスが降ってくる。大きな手に背中を撫でられると自然にため息が漏れた。

「許してくれる?」

小さく首を傾げて五条さんが尋ねてくる。
こんな五条さんは初めて見た。
何だか不思議な思いで頷くと、花が開くように美しく微笑んだ五条さんに親指の腹で優しく唇を撫でられた。

「じゃあ、キスしてもいい?」

おずおずと頷くと、指で撫でた後をなぞるように口付けられる。五条さんの唇は柔らかく、蜂蜜のように甘かった。それにびっくりするほど優しい。

「これからはちゃんと優しくするから」

キスをしながら抱き上げられてベッドに運ばれながら、やっぱりシャワーを浴びてきて良かったと思った。



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