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「えっ、帰れない?」

「電車もバスも止まってますし、除雪車がメンテナンス中だったので道路も雪が積もったままなんですよ」

申し訳なさそうに説明する女将さんは何も悪くない。
悪いのはこの季節外れの春の雪なのだ。
よりにもよって春分の日を狙って降ったかのような雪は、予想を上回る被害をもたらしたらしい。

「お安くしますからもう一晩泊まっていって下さい」

「すみません、ありがとうございます」

願ってもない申し出だった。
一日帰宅が遅れることで職場の上司や同僚に迷惑をかけてしまうのは申し訳ないが、もう一泊温泉でゆっくり出来るのは正直ありがたい。
何しろ年度末の超絶忙しい時期なので、身体もメンタルもかなりガタがきていたところだったのだ。

女将さんにお礼を言って、今日引き払うはずだった部屋へと戻ると、もう清掃は終わっていた。
荷物を置き、綺麗に整えられた和室でのんびりとお茶を飲む。
それからスマホを取り出して、ゲームをやり始めた。

ひとしきり遊んでから、温泉に入る。

「はあ……いい気持ち」

こんなに寛いだ気分になるのは何週間ぶりだろう。
ここしばらくずっと忙しかったからなあ。

雪見風呂になったのもちょうど良かった。
まるで温泉宿のパンフレットの写真のような美しい景色と熱いお湯を堪能しつつ、目を閉じる。

「浴衣はここに置いておきますね」

「あ、はい。ありがとうございま……す」

私は露天風呂の中で固まった。

今の声──まさか。

慌ててお湯から上がり、身体を拭いて浴衣を着る。

そうして部屋に戻ると、やはり、思った通りの人物がそこにいた。

「赤屍さん!」

「おや、もう良いのですか?もっとゆっくり浸かっていらして良かったのに」

「どうしてここにいるんですか!?」

「貴女をお迎えに上がったことを女将に伝えたところ、どうぞごゆっくりと部屋に通して下さいました」

なんということだ。

私は目眩を感じてその場に崩れ落ちた。

その後どうなったかは言うまでもない。


「……………ん」

何かが聞こえた気がして、意識が浮上する。
目を開けると、室内は真っ暗だった。
隣にいる赤屍さんの体温を感じて、また眠気に襲われそうになったが、ぐっと堪える。

──ポコッ

また音がした。

この音は知っている。
LINEの通知音だ。

手を伸ばしてスマホを見ると、同僚からメッセージが来ていた。

──今、どこ?

ポコッ

──その人だれ?

ポコッ

──早く来て

ポコッ

──早く来て

ポコッ

──早く来て

ポコッ

──早くきて

ポコッ

──早く

ポコッ

──早く

ポコッ

──早く

ポコッ

──早く

ポコッ

──早く

ポコッ

──早く

ポコッ

──早く

ポコッ

──はやく!!!


「ひっ…」

横から伸びてきた手にスマホを奪われた。

身体に回されていた腕が動き、抱きしめ直される。

「よしよし、大丈夫ですよ。もう眠ってしまいなさい」

「で、でも……」

「大丈夫、私がついています。安心しておやすみなさい」

甘く、優しい声はまるで甘い毒だ。
耳からゆっくりと浸透していき、じわじわと身体の自由を奪われる。
急激な睡魔に襲われ、私はそのまま意識を手放した。


「事故だったそうです」

翌朝、電話で聞いたのは、私にLINEを送ってきた同僚が亡くなったという報せだった。

死亡時刻は昨夜の24時過ぎ。

スマホを確認するまでもない。
最初にメッセージが届いた時刻だ。

打てるはずのない時刻に、何故か次々と届いたあの異様なメッセージの数々。

亡くなった同僚が、“早く”どこへ来て欲しかったのかはわからない。

今はただ、悲しみと恐ろしさに身を震わせることしか出来なかった。

「何も心配いりませんよ。貴女には私がついています」

腕の中でむせび泣く私を、赤屍さんはしっかりと抱きしめてくれていた。


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