「すみません、神崎さん。朝になったら出してあげますから、一晩だけ我慢して下さい」 オーナーは申し訳なさそうに言ってドアを閉めると、外側からカチッと音を立てて鍵をかけた。 毛布一枚を渡されて押し込められた地下室は、どうやらワイン倉庫になっているようだ。 電気がついているから真っ暗ではないが、何となく寒気を感じて身震いする。 どうしてこんなことになってしまったのだろう。 あれは確か、夕食の後のことだった。 思い思いに寛いでいたこのペンションの宿泊客達の中で、一人だけ姿が見えない客がいたのだが、それから少しして窓ガラスが割れたような音が聞こえて来たのだ。 オーナーと大学生のカップルが見に行ったところ、一人だけいなかった男性客がバラバラ死体になっていたらしい。 それで何故か大学生カップルの男の子のほうが推理を披露しはじめ、どうしてだかわからないが、私が犯人だと決めつけられてしまった。 「殺人犯なんかと一緒にいられない」と女の子達が騒いだため、私は翌朝警察が来るまで一晩地下室に監禁されることになってしまったのだった。 「あの大学生、絶対許さない…」 震える声で呟いて毛布にくるまる。 こうなったらもうさっさと寝てしまおうと目を閉じた。 こうして、恐怖の一夜が始まった。 最初に聞こえたのは女性の悲鳴だった。 恐怖に満ちたそれに、まるで冷たい手で心臓を鷲掴みにされたように一瞬で目が覚めた。 「な、なに…?」 思わず声に出てしまったが、当然答えは返ってこない。 むしろ、他に誰もいないはずのこの地下室で近くから誰かの声が聞こえたら私も悲鳴をあげていただろう。 次に聞こえてきたのは、階段を何か重いものが転がり落ちたような音。 そして、耳を覆いたくなるような苦渋に満ちた男性の叫び声。 続いて、誰かが玄関を開けて外に走り出ていく荒い足音。 それから暫くは沈黙が続いた。 さっきのは何だったのだろうと考える余裕があった。 この時はまだ。 しかし、再び悲鳴が聞こえてきたことで、私は今度こそ震えあがった。 犯人だ。 やはり、このペンションの中には殺人鬼がいたのだ。 それが今、宿泊客達を順番に殺して回っているのだ。 何が切っ掛けになったかなんてわからない。 夜が更けて皆が寝静まるのを待っていたのかもしれない。 ただわかるのは、今、次々に人が殺されていっているということだけだった。 また、悲鳴。 今度は続けざまに三つ。 もしかして、あの女の子三人組が……。 どうにかしたくても、地下室に閉じ込められている状態では何も出来ない。 誰かに鍵を開けてもらえればいいのだが、下手に騒いで犯人の注意を引き付けてしまうのだけは避けたい。 どうしよう。 どうしよう。 悩む内に無情にも時間は過ぎていく。 外はあまりにも静かだった。 まるで誰も生きている者がいなくなったみたいに。 もう皆死んでしまったのだろうか。 次は自分の番かもしれない。 そう考えて、ぶんぶんと頭を横に振った。 駄目だ、希望を捨てては。 もし殺人鬼がいたとしても、私が地下室に閉じ込められていることは知らないはずだ。 だから、大丈夫。 でも、さっきからずっと震えが止まらない。 それから気が遠くなるくらい長い時間が過ぎ去った。 コンコン、とノックをする音を耳にして、ハッと顔を上げる。 地下室の隅でうずくまっていた私は、恐る恐る階段をのぼっていった。 「誰…?」 震える声で小さく尋ねると、何か金属音がしてからドアが開いた。 「貴女は運が良い」 開いたドアの向こうに立っていたのは知らない男性だった。 黒尽くめの格好は、バラバラ死体になっていたというあの男性客を連想させたが、目の前の男性は淡い微笑を浮かべて手を差し伸べて来た。 少し迷った末にその手を借りて地下室から出ると、玄関の前に倒れている人を見つけてギョッとした。 血溜まりの中にうつ伏せに倒れているそれには見覚えがあった。 確か、このペンションの従業員の男性だ。 「ひっ…!」 死体はそれだけではなかった。 階段の下に、まるで折り畳まれたマリオットのようにぐんにゃりとした格好で息絶えているのは、あの大学生カップルの女性のほうだった。 そこから視線を上げれば、階段を上がりきったところに仰向けに倒れている女性の姿があり、そこからゆっくりと階段を伝って血が滴り落ちている。 「このペンションの宿泊客で生き残っているのは貴女だけです。運が良かったですね」 「あの…貴方は…?」 「私は運び屋の赤屍蔵人と申します。ある人物に依頼された物を運んで来たのですが、私が来た時には既にこの惨状でした」 死体から目を逸らして震える私を毛布でくるむと、彼は軽々と私を抱き上げた。 「ついでです。安全な場所まで運んで差し上げますよ」 私は何度も頷き、それから深く息をついた。 助かった、と。 惨劇の夜が明け、やっと朝が訪れたのだと。 だから、私は見ていなかった。 私を抱き上げている赤屍蔵人と名乗った男が、まるで獲物を見つけた肉食獣のような目で私を見ていたことを。 「本当に、運が良いですよ。貴女は」 |