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音羽マドカちゃんは盲目の天才美少女ヴァイオリニストだ。

彼女の境遇は薄幸そのものだが、今の彼女からは悲愴さはまったく感じられない。
それは士度さんの存在によるものが大きいだろう。

今日はプリマヴェラの祭典というクラシックコンサートをやるので来て欲しいとわざわざホンキートンクまで誘いにきてくれた。

「皆さん、是非いらして下さいね」

「テメェは来るなよ」

「なんだと!?誰のお陰で…!」

「はいはい、ストーーップ! 喧嘩しないの。マドカちゃんが心配するでしょ」

士度さんと蛮ちゃんの口喧嘩に、年長者らしくヘヴンさんが止めに入った。
まさしく犬猿の仲。
口喧嘩こそ止めたものの、二人はまだ睨みあっている。

「楽しみですね、聖羅さん」

そう私に言ったのは赤屍さんだ。
何の気まぐれか、どうやら彼もコンサートに行くつもりでいるらしい。

運び屋の赤屍蔵人。

彼については、何を考えているのかわからないというのが正直な感想だ。

好意的な言葉や態度をそのまま鵜呑みにするほど馬鹿ではない。

私の何かが彼の興味を引いたのは間違いないと思うが、それがなんであるのか自分では見当もつかない。

とりあえず、「そうですね」と無難な返事をしてその場は切り抜けた。

そして、コンサート当日。

席を探して、チケットのナンバーとシートを確認していると、「こちらですよ」と聞き慣れたテノールが私を呼んだ。

見れば、私が座るはずの席の隣に赤屍さんが座っている。
というか、一瞬、誰だかわからなかった。
今夜の彼はタキシードを着ており、長い髪を後ろで一つに束ねていたからだ。

「どうぞ」

わざわざ立ち上がって恭しく席を勧められたため、仕方なく隣に着席する。
それを見届けて赤屍さんも腰を降ろした。

「とても良くお似合いですよ。綺麗だ」

「あ、ありがとうございます」

ビクビクしていると、会場の灯りが落とされ、舞台の幕が上がった。
演奏者の中にマドカちゃんの姿を見つけて拍手をする。

拍手が止むと、観客への挨拶がされ、スムーズに演奏へと繋がった。

プリマヴェラの祭典というだけあって、春をテーマにした曲がメインのようだ。

これは、えっと、

「カルミナ・ブラーナの春の訪れですよ」

赤屍さんが小声でそっと教えてくれる。
ぺこりと小さく頭を下げて、また曲に聴き入った。

マドカちゃんのヴァイオリンはとても優しい音色で、胸にしみいるようだった。

これは動物達も大人しく聴き入るわけだ。

ミューズに触れられた人間がいるとしたら、彼女もその一人であることは間違いない。

なかなか鳴り止まない万雷の拍手がその証拠だ。

「素晴らしい演奏でしたね」

「はい、本当に」

聴く人を幸せな気持ちに出来る音楽。
これは素晴らしい才能である。

「これを」

胸がいっぱいになりながら会場を出たところで、赤屍さんに何かを渡された。
見るからに高級そうなチョコレートの箱だ。
香りに惹かれた私は、お礼を言って、中からひとつチョコを取って口に入れた。
まろやかな舌触り。
ほのかな甘さが口の中に広がっていく。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

赤屍さんは瞳を細めて微笑んでみせた。
まるで獲物を見つけた肉食獣が舌なめずりするように。

「古来よりチョコレートは媚薬として扱われてきました。今夜、貴女がその気になって下さると嬉しいのですが」

「お、おやすみなさい!」

「慌てると転びますよ」

ヒールの高いパンプスが許す限りの急ぎ足でその場を離れて行こうとすると、後ろからクスクス笑う声が追いかけてきた。

「今夜は見逃して差し上げますよ。今日のところは……ね」

やっぱり、この男は危険だ。
関わってはいけない。

私は半べそをかきながら、尻尾を巻いて逃げ出した。
魔物の気が変わらないうちに、精一杯の全速力で。


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