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深夜一人でいる時に「いないいないばあ」をしてはいけない。
見てはいけないものを喚び寄せてしまうから。

そんな都市伝説だか怪談だかを、昨日の飲み会で話していたのは誰だっただろうか。
その時には既にかなり酒が進んでいたのでよく覚えていない。が、内容だけはしっかりと記憶に刻まれていた。

試してみようと思ったのは、酔っぱらいに有りがちな好奇心からだった。どうせ何も起こらないだろうと高をくくっていたというのもある。あれ試してみたよーと今度会った時に話してあげようと考えていた。

「いないいない……」

両手で顔を隠して呟く。

「ばあっ」

両手を外すと、すぐ目の前に血塗れの女の顔があった。

「えっ、えっ?」

最初に頭に浮かんだのは「不法侵入者」という単語だった。誰かが入り込んだのだと馬鹿な私はそんなことを考えていたのだ。
慌てて電灯のスイッチに駆け寄り、それを押すと、まばゆい光で室内が満たされた。
眩しさに目がくらみ、ぎゅっと目を閉じてまた開く。

あの女は消えていた。

なんだ、酔っているせいで幻覚を見たのかと、半笑いになりながら電気を消す。

「!」

暗闇の中に、あの女が立っていた。
先ほどよりも近くに。
よく見れば、普通の人間ではあり得ないくらいに首と手足が長く、白いワンピースは血で赤く染まっている。

電気をつける。消える。

電気を消す。またいる。今度はもっと近くに。

一瞬で酔いが覚めた。音を立てて血の気が引いていくのがわかる。
これは『本物』だ。

女が不意にしゃがみこんだ。
長い手足を蜘蛛の肢のように曲げてカサカサと這い寄って来る。長い黒髪の間から歪んだ笑いを浮かべた血塗れの顔が覗いている。

私は悲鳴を上げて飛び退き、咄嗟にトイレに逃げ込んだ。
ドアを閉めて鍵をかけた途端、バン!とドアに何かが激しくぶつかった音がした。
二度、三度、と繰り返しドアにぶつかってくる。
私は歯の根が合わないくらいガタガタと震えながら肩に掛けたままだったバッグの中を探った。
スマホを取り出し、ほのかな灯りを見てほんの少しだけ冷静さを取り戻すと、私は唯一この状況を解決出来そうな人物に電話をかけた。

『聖羅さん?どうしました、こんな夜更けに』

「あ、あ、赤屍さん助けてっ!」

説明も何もあったものではなかった。
しかし、そんなものは必要なかったらしく

『わかりました。すぐに行きます』

何とも頼もしい返事が聞こえてきたのでほっとした。良かった。これでもう安心だ。
そう思いながら何気無く後ろを振り返ると、あの女が天井からぶら下がっていた。

ケタケタと笑いながら私に飛びかかってきたソレは、しかし、何かをする前にドアを突き破って現れた赤い剣によって串刺しにされていた。
耳をつんざくような凄まじい叫び声をあげたソレが暗闇の中に霧散して跡形もなく消えていく。

「大丈夫ですか?聖羅さん」

ドアの向こうから聞こえてきた優しい声に泣きそうになりながらドアを開ける。

「ふえぇ……赤屍さぁん……」

本当ならば熱い抱擁を交わす感動的なシーンになるはずだったが、そうするわけにはいかない理由があった。

「お、お漏らししちゃいましたぁ……」

「おやおや」




赤屍さんは私を見捨てなかった。
この歳になってお漏らしした下着を洗うという屈辱的な行為をしている間、散らかった部屋を片付けていてくれて、げんなりした顔で戻ってきた私を浴室に連れて行ってシャワーを浴びさせ、涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔をクレンジングオイルで落として洗顔でさっぱりさせて、パジャマに着替えてぐすぐす鼻を鳴らしている私にホットミルクを飲ませて慰めてくれたのだった。
こんなスパダリが他にいるだろうか。いや、いるはずがない。

「いないいないばあ、ですか」

ベッドに並んで腰掛け、私の頭を優しく撫でながら赤屍さんが言った。

「興味深いですね。私もそんな話は初めて聞きました」

「ですよね。私も昨日初めて聞きました」

とりあえず、あの都市伝説だか怪談だかを聞かせてくれた人には文句を言いたい。こんな危ないものならちゃんと注意して欲しかった。

「今日は私がずっと傍にいますから、ゆっくり休んで下さい」

「眠れそうにないです」

「大丈夫、眠れますよ」

ベッドに横になった私の顔の上に赤屍さんが手をかざす。
すると、不思議なことに、私はすとんと眠りに落ちていた。



そして、翌朝。
目が覚めた私は昨日の飲み会で一緒だった友人に真っ先に電話をかけたのだが。

「いないいないばあの都市伝説?そんな話、誰もしてなかったと思うけど」

スマホを持ったまま固まってしまった私の耳に、「もしもし?」「聖羅?」と私を心配する友人の声がむなしく響いていた。


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